ケビン・コスナーのすべて

ケビン・コスナー(Kevin Costner, 1955-)は、アメリカはカリフォルニア州出身の俳優です。

 
 
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ウィル・スミスのすべて

ウィル・スミス(Will Smith, 1968-)は、アメリカはペンシルベニア州出身の俳優です。

 
 
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ハリソン・フォードのすべて

ハリソン・フォード(Harrison Ford, 1942-)は、アメリカはイリノイ州シカゴ出身の俳優です。

 
 
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ショーン・コネリーのすべて

ショーン・コネリー(Sean Connery, 1930-)は、イギリス(スコットランド)出身の俳優です。

 
 
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阿部寛のすべて

阿部 寛(あべ ひろし、1964年-)は、日本の神奈川県出身の俳優です。

 
 
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ジェリー・サインフェルドのすべて

ジェリー・サインフェルド(Jerry Seinfeld, 1954-)は、アメリカ・ニューヨーク州出身の俳優・コメディアンです。

 
 
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モーガン・フリーマンのすべて

モーガン・フリーマン(Morgan Freeman, 1937-)は、アメリカ・テネシー州出身の俳優ですね。

 
 
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ジャック・ニコルソンのすべて

ジャック・ニコルソン(Jack Nicholson, 1937-)は、アメリカ・ニュージャージー州出身の俳優です。

2014年現在、77才という年齢でありながら今なおバリバリの現役。しかも実力、人気ともに非常に高い俳優なんですね。

かなり たくさんの名作映画に出演してきています。

 
 
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三國連太郎のすべて

 

三國連太郎(1923-2013)は、日本の群馬県出身の俳優。

三国さんといえば皆さんは何をイメージしますか?僕は、まず思い浮かぶのが映画「異母兄弟」(1957)で老人役になりきるため、34才という若さだった三国連太郎さんは、なんと歯を10本抜いたという仰天エピソードですね。

役者一筋だったんですね。すごいわー。演技に対して相当こだわりを持っていたんですねー。

あと、ベッドシーンで女優に対して本当に手を出そうとしたという、ウソなのか本当なのかわからないような伝説も残していますよね(笑)

僕がこの話を初めて聞いたのは、たしか「さんまのまんま」で三國さんがゲスト出演された時に、さんまさんが笑いながら言ってたのを見た時だったと記憶してますが、かなり衝撃的でしたね(笑)情熱的というか、普段温厚そうな三國さんだけに、なぜか憎めない(笑)

ちなみに、そんなシーンがあったと噂されている作品と女優さんは、あくまでも噂ですし本番で使われてるかどうかは知りませんが、映画「越後つついし親不知」(1964)での佐久間良子とのベッドシーン、映画「復讐するは我にあり」(1979)での倍賞美津子とのベッドシーン、映画「飢餓海峡」(1965)での左幸子とのベッドシーン、映画「さらばラバウル」(1954)での岡田茉莉子とのベッドシーンなどですかね。

 

ちなみに、女優の有馬稲子や、ショーケンこと俳優の萩原健一と共演した際には作品の中で本気で殴ったとのこと。三國さんの人柄なのか、2人とも恨みには思っていないようで、むしろ萩原健一などは感銘を受けたと語っているようです。

 

また、テレビドラマ「支払い過ぎた縁談」(1965)では、浮浪者の役づくりのため実際に浮浪者の格好でカップルをおどかしたために警察に逮捕されそうにまでなったそうです(笑)

ちなみに、俳優として、映画会社にも素直にというか奔放に振舞っていたようで、最初は松竹に研究生として育ててもらったのですが、出たい作品や監督がいると、当たり前のように東宝の映画に出演すると言い出したりして映画会社間で当時問題になったりもしたようです。

こういうところも、すごく人間味があって好きなのですね~♪ Wikipediaには次のような三國さんの言葉があります。

「会社は僕を商品だと思っているようですけれど、僕は息をしている人間なのですから、好きなものは好きで、いやなものは嫌だと言いたい」

いや~これはスゴイですね。まったく正論で、今も昔も国内でも海外でも映画会社と俳優との間をスバリ言い表している言葉だと思います。

プライベートでも逸話が多くて枚挙に暇がないんですな。例えば、戦争に行くのが嫌で赤紙からの逃走劇を繰り広げたこと。これも感銘を受けました。というのも、大学生の頃に、ふと、昔の人はナゼ戦争にいったんだろう?たとえ非国民といわれても誰か1人くらいは赤紙が来ても「イヤだ!人殺しなんてしたくない!」って逃げた人がいてもおかしくないんじゃないか?と思っていたものですから、<<おー!!やっぱりいた!いなきゃおかしいよな!>>って(笑)当時三國さんは大阪で働いていたらしいですが、佐賀県まで逃げて結局つかまったらしいです。本当に人間味のある方です。


ちなみに、結婚は4回しています。あんなに温厚そうなので一見オクテに見えるんだけど、意外でしょ?

さらにビックリしたのは1人目の奥さんとはWikipediaにはハッキリと偽装結婚だったと書いてあることですね(笑)つまり、戦争で中国に行かされていた三国さんは妻帯者は早く帰国できると聞いて1946年23才の年に知り合った女性と結婚したとういことです。同じ佐藤という苗字の女性だったというから日本人なんですね。中国で日本人女性と出会ったということなんですかね?

その後2年続いた結婚は、宮崎県にある妻の実家で寝泊りさせてもらいながらバスの整備工などを経験したようです。その後、妻が女の子を妊娠しますが、1948年に離婚。

単身、鳥取へ出向いたところ戦争中に知り合った人と再開し、農業共同組合に入ったそうです。さらに資産家のお嬢さんと1951年28才の年に結婚(KINENOTEによると林政子さんという方らしいです)。ただ林家から猛反対され結局、翌1952年には離婚したそうです。

そして1951年に俳優デビューしていた三國連太郎は、1953年に神楽坂で知り合った芸者の石原とし子と3度目の結婚。この女性との間に生まれた息子が後の俳優 佐藤浩市です。あと何をされているかも名前もわかりませんが、娘も1人生まれているそうです。



この結婚は20年以上続いたものでしたが、実はその間に女優の太地喜和子と不倫していることが公になりスキャンダルとなりました。なんと三国連太郎は41才だった時に、相手の太地喜和子は19才という若さだったというから驚きです。ということは1964年頃ですね。

しかも、実際に太地喜和子の実家で同棲までして、太地の両親には「子供(佐藤浩市:当時4才くらいじゃない?)が、あと10年もすれば自立できるようになるから、結婚させてほしい」と申し出たらしいですよ。息子が14才になってもまだ自立は厳しいのでは・・・とか思うんですが(笑)あれ?

しかも結局は、三國さんが同棲3ヶ月で「疲れた」という置手紙だけ残して出ていってしまったんだそうです。まさに芸術家ですね(笑)

太地喜和子(左)と、石田えり(右)↓

 

そして長く続いた3度目の結婚生活も1972年49才の年に離婚。この頃、三國連太郎は役者としてもかなり悩んでいた時期だったそうで、自らの道を模索するため借金をしてまで映画製作をするなど混迷の時期だったようです。

そして、KINENOTEによると1976年53才の年に4度目、最後の結婚をします。ただ、別のサイトでは1981年に結婚したと書いてあったりと情報があいまいです。さらに相手の女性の情報はほとんど明かされていないようですね。一般の方なのかな?一部のメディアでは友人宅でたまたま知り合ったらしいとか噂されてるみたい。

ただ三國さんが亡くなった時には、この女性の言葉などが報道されていたようですから離婚はなく、最後まで添い遂げたようです。4度目の結婚生活は3度目よりもさらに長い、30年以上も続いたんですね。

ちなみに時期は不明ですが、他にも女優の石田えりとも交際の噂があったようです。おそらく三國さんが出演した映画「釣りバカ日誌」シリーズに複数回出演していた石田さんが突然降板になって浅田美代子に代わったことを勘ぐってのことなのかな~?

いやはや、さすが2枚目俳優。本当に役者らしいというか、破天荒な方で、生き方を調べていても飽きることがないですね。

 

ちなみに、Wikipediaや左上の「善魔」の表紙写真を見てもわかりますが、三國さんの若い頃の写真を見ると、沢村一樹と要潤を足して2で割ったような美男子だったのですね。

キャリアとしては、戦後仕事を探してプラプラとしていた頃、銀座で松竹のスカウトマンに誘われ「飯が食えるなら」とついていったそうです(笑)

そして、映画「二十四の瞳」などで有名な木下惠介 監督と面談。木下監督は三国連太郎を大変気に入ったそうで、いきなり映画「善魔」(1951)で主役としてデビューさせます。この作品で三國は、ブルーリボン賞の新人賞を受賞。



ちなみに、この作品での役名が「三國連太郎」であり、それ以降、役者としての名前を三国連太郎としたそうです。三國さんの本名は佐藤 政雄(さとう まさお)です。

また、NHKで放送していた「こころの遺伝子」という西田敏行が司会&インタビュアーをしていた番組に三國連太郎さんがゲスト出演した際には、「善魔」で初めて演技というものをしたために何度もNGを繰り返した三國に木下監督は決して怒らず、「好きなようにやればいいんだよ」と声掛けしたそうです。この言葉は、以降、三國連太郎の人生そのものを言い表していると言っていいくらいの影響力を持っていたそうです。

また、先ほどもちょびっと書いたように、松竹から東宝に移った恩知らずとして松竹の撮影所の入り口(だったかな?たしか)には、「犬 猫 三國は入るべからず」みたいな張り紙が貼られたこともあったそうです。

その後、木下恵介監督の映画「海の花火」では笠智衆と共演、さらに東宝映画「戦国無頼」では、三船敏郎と共演。監督は稲垣浩で、脚本には、あの黒澤明が参加していました。

ちなみに、この稲垣浩監督の映画に「無法松の一生」という有名な映画があるのですが、この映画なんと3度もリメイクされた人気作なんですね。

最初は、1943年に阪東妻三郎が主役で公開されました。え?誰かわからないって?ドラマ「古畑任三郎」シリーズで有名な田村正和さんの実のお父さんですよ。2度目の公開は1958年で主演は三船敏郎。

そして、3度目の公開は1963年で、主演は三國連太郎さんだったんですね!僕は、まだ三船敏郎さんのバージョンしか観たことがないのですが、三国連太郎さんバージョンも観てみたいなぁ~。

そして4度目の公開は1965年で主演は勝新太郎でした。余談ですが、この映画を知ったきっかけは、山田洋次監督の映画「虹をつかむ男」で田中邦衛さん演じるツネさんが、良いと思った映画作品を聞かれ、「板妻(坂東妻三郎の愛称)、無法松の一生」と答えていて興味を持ったことでした。バンツマの無法松はそんなに良いのかぁ~。観たい。ちなみに「無法松の一生」は、山田洋次監督の映画「なつかしい風来坊」や「男はつらいよ」にも通じるものがあると感じた映画ですよ。

 

その後、成瀬巳喜男 監督の「妻」や「夫婦」に出演。さらに稲垣浩 監督の映画「宮本武蔵」(1954)にも参加。この作品では、三船敏郎、そして女優の八千草薫さんとも共演しています。豪華キャストだなー。

1955年には「警察日記」という名画に出演。この映画も前述の「虹をつかむ男」で紹介されてました。主演は森繁久弥。他にも宍戸錠などが出演しています。

また「太平洋の鷲」という映画では当時の時代劇スター大河内伝次郎や三船敏郎、志村喬らと共演していますね。

他にも八千草薫さんの夫でもある谷口千吉監督の作品「赤線基地」に主演。1954年の映画「さらばラバウル」にも出演しているのですが、この作品では、あのウルトラマンやゴジラで有名な円谷英二が特撮を担当していました。

三國さんは、まだまだ、たくさんの映画に出演しているのですが、全部挙げていくと多すぎるので、かいつまんでいくと、森鴎外原作の市川崑監督の映画「破戒」(1962)では、市川雷蔵、長門裕之(南田洋子の夫で、津川雅彦の兄)、船越英二(船越英一郎の父)らと共演。

あと、三國さんの作品でコレが一番カッコいいんじゃないかな~と思える程だった「切腹」(1962)という映画。この作品では、仲代達矢、岩下志麻、丹波哲郎、松村達雄らと共演しています。



また、西田敏行がこれを見て俳優になろうと決めたという映画「飢餓海峡」(1965)では主演を務め、女優の左幸子と共演。また高倉健なども出演していました。

「さんまのまんま」というトーク番組に三國と共に出演した西田敏行は、「飢餓海峡」で三國が左幸子さんとベッドシーンを撮影中に本当に下着を脱がそうとしたらしいですと告白。三國もとなりで「あれは監督が変態だったんですよ。なかなかカットがかからないからエキサイトしちゃって」と笑っていました(笑)

市川崑監督の映画「犬神家の一族」(1976)にも出演。ちなみに主演の金田一耕助役は石坂浩二が務めました。

今村昌平 監督の映画「復讐するは我にあり」(1979)では、シリアルキラーの役を緒形拳が演じ、その父親役を三國連太郎さんが演じました。ミヤコ蝶々、フランキー堺、菅井きん、倍賞美津子(「男はつらいよ」さくら役で有名な倍賞千恵子の妹)なども出演しています。



ちょっと意外なところでは、1981年に映画「セーラー服と機関銃」なんかにも出演しているんですね。主演は薬師丸ひろ子。ほかに渡瀬恒彦(石原軍団の渡哲也は実の兄)、柳沢慎吾、柄本明、寺田農、円広志、斉藤洋介などが出演してます。

1988年には、伊丹十三監督の映画「マルサの女2」に出演。この時の三國さんはとても怖い役を演じてましたねー。迫力がありました。宮本信子、津川雅彦、丹波哲郎、笠智衆、きたろうなどが出演しています。

 

そして、いよいよ1988年に映画「釣りバカ日誌」がスタートしました。三國連太郎さんがコメディに挑戦です。

最初は昔の義理で渋々出演しているなんてことを言ってたようですが、結局スペシャルも合わせて22作もの長寿人気シリーズとなった本作に最後まで出演し、特にスタッフの情熱については大変褒めていたようです。

浜ちゃん役の西田敏行と、スーさん役の三國連太郎の名コンビは大人気で、渥美清さんが亡くなってしまった頃と前後して、「男はつらいよ」シリーズに代わり松竹の看板作品として多くの人を楽しませてくれました。

脚本には山田洋次も参加しており、監督は「男はつらいよ」や「学校」で助監督を務めてきた朝原 雄三が担当しています。

また映画「利休」(1989)では、華道家でもある勅使河原宏という方が監督を務め、三國連太郎が千利休を演じています。三田佳子、織田信長役の松本幸四郎、石田三成役の坂東八十助、豊臣秀吉役の山崎努などが共演。

なんと美術館から本物の国宝級の屏風や茶器を借りて撮影したというからスゴイですね。

 

さて、あとは山田洋次監督の感動作「息子」でも良い演技をみせてくれました。なんでも畑仕事をしてきた手というものにするため、わざと砂袋を突いて、つき指して間接を太くみせるという過激な役作りもしたんだとか。共演も豪華で、田中邦衛、いかりや長介、松村達雄、永瀬正敏、和久井映見、原田美枝子、ケーシー高峰、浜村純、佐藤B作などがいます。


あと、3番目の妻との間にできた実の息子で俳優の佐藤浩市とも映画「美味しんぼ」で共演を果たしています。他には羽田美智子、竜雷太、田中邦衛、樹木希林、笹野高史などが出演しています。この当時、佐藤浩市と三國の間には確執があったと噂されていたただけに話題となりました。

最後に、なんと三國連太郎さんは自身でも映画を製作しており、「親鸞 白い道」(1987)では企画・原作・製作・脚本・監督を務めています。

主演は、森山潤久という舞台を中心に活躍している俳優さんで前述の「利休」などにも出演しています。ほかには、蟹江敬三、丹波哲郎、若山富三郎、フランキー堺、泉谷しげる、ガッツ石松などが出演。三國連太郎も宝来という役で出演しているようです。

この作品は、なんとカンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞しています。

さて、ここまで三国連太郎さんの人生をキャリアと私生活の面から、かいつまんで見てきました。本当に濃い人生ですよね(笑)

役者としても個性があるし、人間としても非常に興味をそそられますね。知れば知るほど興味をそそられるような、魅力ある人間として元気をもらえます☆ピンときた作品があったら、ぜひ観てみてくださいヽ(´▽`)/

 


 
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石原裕次郎のすべて



石原裕次郎(1934-1987)は、日本の俳優・歌手。石原軍団とか、兄の元東京都知事で作家の石原慎太郎も有名ですね。

生まれは神戸ですが、父親の仕事の都合で幼くして北海道に転勤、その後は神奈川県に住んでいたようです。

お兄さんの慎太郎は一橋大学法学部卒業ですが、裕次郎は慶応義塾大学法学部に入学。大学在学中の1956年に、お兄さんの慎太郎が発表した「太陽の季節」という小説が芥川賞に輝き、同年、映画化されるんですが、その映画「太陽の季節」で裕次郎は俳優デビューします。

この時、兄の慎太郎とプロデューサーだった水の江滝子(みずのえたきこ)の推薦で、裕次郎は主人公の友人役として出演。以後、俳優として日活に入社して、慶應大学は中退します。

ちなみに、「太陽の季節」の主演は、女優の南田洋子と、俳優で津川雅彦の兄でもある長門裕之です。長門と南田の2人は、この作品がきっかけで出会い、後に結婚します。ほかには岡田眞澄さんかも出演してます。

 

そして、再び兄の慎太郎が同年に発表した小説「狂った果実」が、驚くべきことに同年の、しかも小説発行の2日後に映画化され公開されたようです。(Wikipedia参照)どうやら小説執筆時から既に映画化の話が進んでいたようですね。それにしても、小説とほぼ同時公開ってすごいですよね(^^;

この映画「狂った果実」で、やはり慎太郎の強い推薦のもと、いよいよ裕次郎が主演をはります。共演は、後に裕次郎の奥さんとなる、北原三枝(結婚後は石原 まき子)。共演者には、ほかに前作に主演した長門の弟、津川雅彦などがいます。

日活公式YouTubeチャンネルの「狂った果実」↓

「狂った果実」で裕次郎は一躍スターとなり、さらに同年に数本の映画に出演。翌年も5作以上の映画に出演後、ヒット映画「嵐を呼ぶ男」に主演。これで本格的な大人気俳優となります。

さらに映画と同題の主題歌「嵐を呼ぶ男」も裕次郎が歌いヒット。石原裕次郎の初ヒット曲となり、歌手としても成功していきます。

 

ちなみに映画「嵐を呼ぶ男」で北原三枝が演じたヒロイン役の女性マネージャーというのは当時まだ、めずらしい存在だったようで、モデルとなった渡辺美佐(わたなべ みさ)さんという女性は、なんと後にナベプロ(渡辺プロダクション)と呼ばれる有名な芸能プロダクションを実際に設立して社長になっちゃったという人なんだそうです。

日活公式YouTubeチャンネルの「嵐を呼ぶ男」↓


その後も裕次郎は1年で多いときには10本もの映画に出演していたようです。すごい数ですよね!ちなみに日活は、裕次郎が当たったことを機にアクション映画の製作に力を入れていったそうです。

その中でも特に有名なものを紹介しておくと、1962年の映画「銀座の恋の物語」、同年の「憎いあンちくしょう」、翌1963年の「何か面白いことないか」と「太平洋ひとりぼっち」、1967年の「夜霧よ今夜も有難う」、1968年「黒部の太陽」、1970年「待ち伏せ」と、結構かいつまんだんですが、それでも結構ありますね(^^;

 

映画「銀座の恋の物語」(1962)は、映画化の前に、まず前年1961年に発売された石原裕次郎と牧村旬子がデュエットした同題の歌謡曲が大ヒットしたことをうけて、製作された映画なんですね。

主演は石原裕次郎と浅丘ルリ子。この2人が主演している映画は数多くあります。

ちなみに、僕が初めて観た裕次郎の映画は、この「銀座の恋の物語」でした。WOWOWで裕次郎特集やってたのか、テレビで放送してたのを見たんだったかな?

「太平洋ひとりぼっち」は、実際に海洋冒険家の方が出版した手記を元にした映画です。監督は市川崑で、主演はまたまた裕次郎と浅丘ルリ子のコンビです。ほかには田中絹代やハナ肇なんかも出演しています。

僕がこのタイトルを知ったのは、たしかテレビでchage and ASKAのチャゲさんがギャグがスベッた時に「俺だけ太平洋ひとりぼっちじゃんか」みたいなことを言っていて、知りました(笑)たしか当時は他にも同じように使っていた人がいたような気がします。まあ、このタイトルにかけたのかどうかは不明ですが、それだけ認知されたタイトルということなんでしょうね。

 

あ、ちなみに石原軍団と呼ばれる石原プロモーション(石原プロ)の設立は1963年で、映画「太平洋ひとりぼっち」は石原プロモーションが製作した記念すべき劇場映画第1弾なんだそうです。

今は石原軍団といえば、渡哲也、舘ひろし、神田正輝、徳重聡などが代表的ですが、石原プロには当時、浅丘ルリ子や黛ジュン、寺尾聰なんかも所属していたんですね。もちろん、かつては裕次郎の甥にあたる石原良純も所属していました。

さて、1967年には裕次郎のヒット曲の1つ「夜霧よ今夜も有難う」というタイトルの歌謡曲が発表されてヒットします。その1ヶ月後には同題の映画「夜霧よ今夜も有難う」が公開。こちらも面白い映画でした。

主演はまたまた石原裕次郎と浅丘ルリ子。面白いのは、この映画、実は1942年にハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマン主演で公開されたアメリカの名作「カサブランカ」の日本版リメイクなんですね!

比較しながら見るのも楽しいでしょう♪たいていハリウッド映画を日本版にリメイクすると陳腐な感じになるのですが、この作品は裕次郎のカリスマ性があったのか、結構よくできていて楽しめました♪もちろん原作映画には敵いませんが。

ちなみに、この「夜霧よ今夜も有難う」は僕が知っててカラオケで歌える唯一の裕次郎ソングです(笑)

日活のYouTube公式チャンネルにあった「夜霧よ今夜も有難う」↓

僕はこの作品をテレビで見たんですが、立て続けに裕次郎映画を観てるってことは、やっぱりWOWOWで石原裕次郎特集か何かをやってたのかな?

実は、三船敏郎の作品もWOWOWでたくさん観て、録画してブルーレイ化できましたが、こういうふうに、黒澤明とか裕次郎とかの特集をやってくれると、これまで観たかった人の映画が買わなくても一挙に録画できて、ブルーレイやDVDにダビングしてコレクションに加えることができるから、お得ですよね~☆

さあ、石原裕次郎については、あと2作に触れておきましょう。まずは1968年に公開した映画「黒部の太陽」ですね。

 

この映画は、石原裕次郎がどうしても映画が作りたいという強い熱意の元、多額の製作費をかけて実現した作品です。

主演は、あんと三船敏郎と石原裕次郎という日本の2大スターが共演を果たしています。三船プロダクションと石原プロモーションの共同制作ですね。あまりに費用がかかるため、裕次郎は俳優の宇野重吉に助けを求めたところ、全面協力を得られたため裕次郎は宇野重吉を後々まで慕ったといわれているようです。ちなみに宇野重吉は寺尾聰の実の父親ですね。

ほかに宇野重吉、寺尾聰、志村喬、高峰三枝子らが出演しています。興行的にも大ヒットだったようですが、いかんせん製作費がかさんで石原プロの財政を圧迫したとも言われているようですね。

その後、1970年には、今後は三船プロダクションが製作の映画「待ち伏せ」に石原裕次郎が出演します。

さらにこの映画には、勝新太郎、浅丘ルリ子、中村錦之助、北川美佳(タレント三船美佳の実の母)ら、そうそうたるメンバーがキャスティングされて話題になりました。

その後、(一部報道では映画での経済難を脱出するために渋々承諾した)テレビの世界にも進出し、ドラマ「太陽にほえろ!」シリーズ(1972~1986年)や、「大都会」シリーズ(石原裕次郎×渡哲也×倉本聰)、「西部警察」シリーズ(1979~1984年)が人気を博しましたね。

特に「太陽にほえろ!」シリーズは、今でもよくお笑い芸人がネタにしていたりしていますね。特に出演していた松田優作(ニックネームはジーパン)の「なんじゃこりゃ~!」というセリフはよく聞きます。

Victor公式YouTubeチャンネルにある「太陽にほえろ!」のテーマソング


他にも、渡辺徹、萩原健一(マカロニ)、三田村邦彦、世良公則、竜雷太(ゴリさん)、小野寺昭、山下真司(スニーカー)、地井武男、石原良純(マイコン)、渡哲也、浅野ゆう子(チャコ)、神田正輝、舘ひろし、峰竜太など、数多くのスターを輩出&そうそうたるメンバーが出演していましたね。

「西部警察」も渡哲也、舘ひろし、寺尾聰、峰竜太、三浦友和、古手川祐子など豪華キャストが出演していた大人気シリーズでこちらもテーマソングやポスターを見ればすぐにわかると思います。

ポニーキャニオンの公式YouTubeチャンネルにある「西部警察」↓


ちなみに石原裕次郎は、初めて記者会見を行った芸能人だとか、正月にハワイへ行く芸能人の先駆けとなった人とか、初めて俳優が歌番組に出演しただとか、日本で力道山と三橋美智也の3人しか所有していないと言われたメルセデス・ベンツ 300SLが愛車だったとか、いろいろ伝説を持っています。う~ん、まさにスター☆

 

 
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