ショーン・コネリー(Sean Connery, 1930-)は、イギリス(スコットランド)出身の俳優です。
ジャック・ニコルソン(Jack Nicholson, 1937-)は、アメリカ・ニュージャージー州出身の俳優です。
2014年現在、77才という年齢でありながら今なおバリバリの現役。しかも実力、人気ともに非常に高い俳優なんですね。
かなり たくさんの名作映画に出演してきています。
三国さんといえば皆さんは何をイメージしますか?僕は、まず思い浮かぶのが映画「異母兄弟」(1957)で老人役になりきるため、34才という若さだった三国連太郎さんは、なんと歯を10本抜いたという仰天エピソードですね。
役者一筋だったんですね。すごいわー。演技に対して相当こだわりを持っていたんですねー。
あと、ベッドシーンで女優に対して本当に手を出そうとしたという、ウソなのか本当なのかわからないような伝説も残していますよね(笑)
僕がこの話を初めて聞いたのは、たしか「さんまのまんま」で三國さんがゲスト出演された時に、さんまさんが笑いながら言ってたのを見た時だったと記憶してますが、かなり衝撃的でしたね(笑)情熱的というか、普段温厚そうな三國さんだけに、なぜか憎めない(笑)
ちなみに、そんなシーンがあったと噂されている作品と女優さんは、あくまでも噂ですし本番で使われてるかどうかは知りませんが、映画「越後つついし親不知」(1964)での佐久間良子とのベッドシーン、映画「復讐するは我にあり」(1979)での倍賞美津子とのベッドシーン、映画「飢餓海峡」(1965)での左幸子とのベッドシーン、映画「さらばラバウル」(1954)での岡田茉莉子とのベッドシーンなどですかね。
ちなみに、俳優として、映画会社にも素直にというか奔放に振舞っていたようで、最初は松竹に研究生として育ててもらったのですが、出たい作品や監督がいると、当たり前のように東宝の映画に出演すると言い出したりして映画会社間で当時問題になったりもしたようです。
こういうところも、すごく人間味があって好きなのですね~♪ Wikipediaには次のような三國さんの言葉があります。
「会社は僕を商品だと思っているようですけれど、僕は息をしている人間なのですから、好きなものは好きで、いやなものは嫌だと言いたい」
いや~これはスゴイですね。まったく正論で、今も昔も国内でも海外でも映画会社と俳優との間をスバリ言い表している言葉だと思います。
プライベートでも逸話が多くて枚挙に暇がないんですな。例えば、戦争に行くのが嫌で赤紙からの逃走劇を繰り広げたこと。これも感銘を受けました。というのも、大学生の頃に、ふと、昔の人はナゼ戦争にいったんだろう?たとえ非国民といわれても誰か1人くらいは赤紙が来ても「イヤだ!人殺しなんてしたくない!」って逃げた人がいてもおかしくないんじゃないか?と思っていたものですから、<<おー!!やっぱりいた!いなきゃおかしいよな!>>って(笑)当時三國さんは大阪で働いていたらしいですが、佐賀県まで逃げて結局つかまったらしいです。本当に人間味のある方です。
さらにビックリしたのは1人目の奥さんとはWikipediaにはハッキリと偽装結婚だったと書いてあることですね(笑)つまり、戦争で中国に行かされていた三国さんは妻帯者は早く帰国できると聞いて1946年23才の年に知り合った女性と結婚したとういことです。同じ佐藤という苗字の女性だったというから日本人なんですね。中国で日本人女性と出会ったということなんですかね?
その後2年続いた結婚は、宮崎県にある妻の実家で寝泊りさせてもらいながらバスの整備工などを経験したようです。その後、妻が女の子を妊娠しますが、1948年に離婚。
単身、鳥取へ出向いたところ戦争中に知り合った人と再開し、農業共同組合に入ったそうです。さらに資産家のお嬢さんと1951年28才の年に結婚(KINENOTEによると林政子さんという方らしいです)。ただ林家から猛反対され結局、翌1952年には離婚したそうです。
そして1951年に俳優デビューしていた三國連太郎は、1953年に神楽坂で知り合った芸者の石原とし子と3度目の結婚。この女性との間に生まれた息子が後の俳優 佐藤浩市です。あと何をされているかも名前もわかりませんが、娘も1人生まれているそうです。
しかも、実際に太地喜和子の実家で同棲までして、太地の両親には「子供(佐藤浩市:当時4才くらいじゃない?)が、あと10年もすれば自立できるようになるから、結婚させてほしい」と申し出たらしいですよ。息子が14才になってもまだ自立は厳しいのでは・・・とか思うんですが(笑)あれ?
しかも結局は、三國さんが同棲3ヶ月で「疲れた」という置手紙だけ残して出ていってしまったんだそうです。まさに芸術家ですね(笑)
そして、KINENOTEによると1976年53才の年に4度目、最後の結婚をします。ただ、別のサイトでは1981年に結婚したと書いてあったりと情報があいまいです。さらに相手の女性の情報はほとんど明かされていないようですね。一般の方なのかな?一部のメディアでは友人宅でたまたま知り合ったらしいとか噂されてるみたい。
ただ三國さんが亡くなった時には、この女性の言葉などが報道されていたようですから離婚はなく、最後まで添い遂げたようです。4度目の結婚生活は3度目よりもさらに長い、30年以上も続いたんですね。
ちなみに時期は不明ですが、他にも女優の石田えりとも交際の噂があったようです。おそらく三國さんが出演した映画「釣りバカ日誌」シリーズに複数回出演していた石田さんが突然降板になって浅田美代子に代わったことを勘ぐってのことなのかな~?
いやはや、さすが2枚目俳優。本当に役者らしいというか、破天荒な方で、生き方を調べていても飽きることがないですね。
キャリアとしては、戦後仕事を探してプラプラとしていた頃、銀座で松竹のスカウトマンに誘われ「飯が食えるなら」とついていったそうです(笑)
そして、映画「二十四の瞳」などで有名な木下惠介 監督と面談。木下監督は三国連太郎を大変気に入ったそうで、いきなり映画「善魔」(1951)で主役としてデビューさせます。この作品で三國は、ブルーリボン賞の新人賞を受賞。
また、NHKで放送していた「こころの遺伝子」という西田敏行が司会&インタビュアーをしていた番組に三國連太郎さんがゲスト出演した際には、「善魔」で初めて演技というものをしたために何度もNGを繰り返した三國に木下監督は決して怒らず、「好きなようにやればいいんだよ」と声掛けしたそうです。この言葉は、以降、三國連太郎の人生そのものを言い表していると言っていいくらいの影響力を持っていたそうです。
また、先ほどもちょびっと書いたように、松竹から東宝に移った恩知らずとして松竹の撮影所の入り口(だったかな?たしか)には、「犬 猫 三國は入るべからず」みたいな張り紙が貼られたこともあったそうです。
その後、木下恵介監督の映画「海の花火」では笠智衆と共演、さらに東宝映画「戦国無頼」では、三船敏郎と共演。監督は稲垣浩で、脚本には、あの黒澤明が参加していました。
ちなみに、この稲垣浩監督の映画に「無法松の一生」という有名な映画があるのですが、この映画なんと3度もリメイクされた人気作なんですね。
最初は、1943年に阪東妻三郎が主役で公開されました。え?誰かわからないって?ドラマ「古畑任三郎」シリーズで有名な田村正和さんの実のお父さんですよ。2度目の公開は1958年で主演は三船敏郎。
そして、3度目の公開は1963年で、主演は三國連太郎さんだったんですね!僕は、まだ三船敏郎さんのバージョンしか観たことがないのですが、三国連太郎さんバージョンも観てみたいなぁ~。
そして4度目の公開は1965年で主演は勝新太郎でした。余談ですが、この映画を知ったきっかけは、山田洋次監督の映画「虹をつかむ男」で田中邦衛さん演じるツネさんが、良いと思った映画作品を聞かれ、「板妻(坂東妻三郎の愛称)、無法松の一生」と答えていて興味を持ったことでした。バンツマの無法松はそんなに良いのかぁ~。観たい。ちなみに「無法松の一生」は、山田洋次監督の映画「なつかしい風来坊」や「男はつらいよ」にも通じるものがあると感じた映画ですよ。
1955年には「警察日記」という名画に出演。この映画も前述の「虹をつかむ男」で紹介されてました。主演は森繁久弥。他にも宍戸錠などが出演しています。
また「太平洋の鷲」という映画では当時の時代劇スター大河内伝次郎や三船敏郎、志村喬らと共演していますね。
他にも八千草薫さんの夫でもある谷口千吉監督の作品「赤線基地」に主演。1954年の映画「さらばラバウル」にも出演しているのですが、この作品では、あのウルトラマンやゴジラで有名な円谷英二が特撮を担当していました。
三國さんは、まだまだ、たくさんの映画に出演しているのですが、全部挙げていくと多すぎるので、かいつまんでいくと、森鴎外原作の市川崑監督の映画「破戒」(1962)では、市川雷蔵、長門裕之(南田洋子の夫で、津川雅彦の兄)、船越英二(船越英一郎の父)らと共演。
あと、三國さんの作品でコレが一番カッコいいんじゃないかな~と思える程だった「切腹」(1962)という映画。この作品では、仲代達矢、岩下志麻、丹波哲郎、松村達雄らと共演しています。
「さんまのまんま」というトーク番組に三國と共に出演した西田敏行は、「飢餓海峡」で三國が左幸子さんとベッドシーンを撮影中に本当に下着を脱がそうとしたらしいですと告白。三國もとなりで「あれは監督が変態だったんですよ。なかなかカットがかからないからエキサイトしちゃって」と笑っていました(笑)
市川崑監督の映画「犬神家の一族」(1976)にも出演。ちなみに主演の金田一耕助役は石坂浩二が務めました。
今村昌平 監督の映画「復讐するは我にあり」(1979)では、シリアルキラーの役を緒形拳が演じ、その父親役を三國連太郎さんが演じました。ミヤコ蝶々、フランキー堺、菅井きん、倍賞美津子(「男はつらいよ」さくら役で有名な倍賞千恵子の妹)なども出演しています。
1988年には、伊丹十三監督の映画「マルサの女2」に出演。この時の三國さんはとても怖い役を演じてましたねー。迫力がありました。宮本信子、津川雅彦、丹波哲郎、笠智衆、きたろうなどが出演しています。
最初は昔の義理で渋々出演しているなんてことを言ってたようですが、結局スペシャルも合わせて22作もの長寿人気シリーズとなった本作に最後まで出演し、特にスタッフの情熱については大変褒めていたようです。
浜ちゃん役の西田敏行と、スーさん役の三國連太郎の名コンビは大人気で、渥美清さんが亡くなってしまった頃と前後して、「男はつらいよ」シリーズに代わり松竹の看板作品として多くの人を楽しませてくれました。
脚本には山田洋次も参加しており、監督は「男はつらいよ」や「学校」で助監督を務めてきた朝原 雄三が担当しています。
また映画「利休」(1989)では、華道家でもある勅使河原宏という方が監督を務め、三國連太郎が千利休を演じています。三田佳子、織田信長役の松本幸四郎、石田三成役の坂東八十助、豊臣秀吉役の山崎努などが共演。
なんと美術館から本物の国宝級の屏風や茶器を借りて撮影したというからスゴイですね。
最後に、なんと三國連太郎さんは自身でも映画を製作しており、「親鸞 白い道」(1987)では企画・原作・製作・脚本・監督を務めています。
主演は、森山潤久という舞台を中心に活躍している俳優さんで前述の「利休」などにも出演しています。ほかには、蟹江敬三、丹波哲郎、若山富三郎、フランキー堺、泉谷しげる、ガッツ石松などが出演。三國連太郎も宝来という役で出演しているようです。
この作品は、なんとカンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞しています。
さて、ここまで三国連太郎さんの人生をキャリアと私生活の面から、かいつまんで見てきました。本当に濃い人生ですよね(笑)
役者としても個性があるし、人間としても非常に興味をそそられますね。知れば知るほど興味をそそられるような、魅力ある人間として元気をもらえます☆ピンときた作品があったら、ぜひ観てみてくださいヽ(´▽`)/
生まれは神戸ですが、父親の仕事の都合で幼くして北海道に転勤、その後は神奈川県に住んでいたようです。
お兄さんの慎太郎は一橋大学法学部卒業ですが、裕次郎は慶応義塾大学法学部に入学。大学在学中の1956年に、お兄さんの慎太郎が発表した「太陽の季節」という小説が芥川賞に輝き、同年、映画化されるんですが、その映画「太陽の季節」で裕次郎は俳優デビューします。
この時、兄の慎太郎とプロデューサーだった水の江滝子(みずのえたきこ)の推薦で、裕次郎は主人公の友人役として出演。以後、俳優として日活に入社して、慶應大学は中退します。
ちなみに、「太陽の季節」の主演は、女優の南田洋子と、俳優で津川雅彦の兄でもある長門裕之です。長門と南田の2人は、この作品がきっかけで出会い、後に結婚します。ほかには岡田眞澄さんかも出演してます。
この映画「狂った果実」で、やはり慎太郎の強い推薦のもと、いよいよ裕次郎が主演をはります。共演は、後に裕次郎の奥さんとなる、北原三枝(結婚後は石原 まき子)。共演者には、ほかに前作に主演した長門の弟、津川雅彦などがいます。
さらに映画と同題の主題歌「嵐を呼ぶ男」も裕次郎が歌いヒット。石原裕次郎の初ヒット曲となり、歌手としても成功していきます。
その中でも特に有名なものを紹介しておくと、1962年の映画「銀座の恋の物語」、同年の「憎いあンちくしょう」、翌1963年の「何か面白いことないか」と「太平洋ひとりぼっち」、1967年の「夜霧よ今夜も有難う」、1968年「黒部の太陽」、1970年「待ち伏せ」と、結構かいつまんだんですが、それでも結構ありますね(^^;
主演は石原裕次郎と浅丘ルリ子。この2人が主演している映画は数多くあります。
ちなみに、僕が初めて観た裕次郎の映画は、この「銀座の恋の物語」でした。WOWOWで裕次郎特集やってたのか、テレビで放送してたのを見たんだったかな?
「太平洋ひとりぼっち」は、実際に海洋冒険家の方が出版した手記を元にした映画です。監督は市川崑で、主演はまたまた裕次郎と浅丘ルリ子のコンビです。ほかには田中絹代やハナ肇なんかも出演しています。
僕がこのタイトルを知ったのは、たしかテレビでchage and ASKAのチャゲさんがギャグがスベッた時に「俺だけ太平洋ひとりぼっちじゃんか」みたいなことを言っていて、知りました(笑)たしか当時は他にも同じように使っていた人がいたような気がします。まあ、このタイトルにかけたのかどうかは不明ですが、それだけ認知されたタイトルということなんでしょうね。
今は石原軍団といえば、渡哲也、舘ひろし、神田正輝、徳重聡などが代表的ですが、石原プロには当時、浅丘ルリ子や黛ジュン、寺尾聰なんかも所属していたんですね。もちろん、かつては裕次郎の甥にあたる石原良純も所属していました。
さて、1967年には裕次郎のヒット曲の1つ「夜霧よ今夜も有難う」というタイトルの歌謡曲が発表されてヒットします。その1ヶ月後には同題の映画「夜霧よ今夜も有難う」が公開。こちらも面白い映画でした。
主演はまたまた石原裕次郎と浅丘ルリ子。面白いのは、この映画、実は1942年にハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマン主演で公開されたアメリカの名作「カサブランカ」の日本版リメイクなんですね!
比較しながら見るのも楽しいでしょう♪たいていハリウッド映画を日本版にリメイクすると陳腐な感じになるのですが、この作品は裕次郎のカリスマ性があったのか、結構よくできていて楽しめました♪もちろん原作映画には敵いませんが。
ちなみに、この「夜霧よ今夜も有難う」は僕が知っててカラオケで歌える唯一の裕次郎ソングです(笑)
実は、三船敏郎の作品もWOWOWでたくさん観て、録画してブルーレイ化できましたが、こういうふうに、黒澤明とか裕次郎とかの特集をやってくれると、これまで観たかった人の映画が買わなくても一挙に録画できて、ブルーレイやDVDにダビングしてコレクションに加えることができるから、お得ですよね~☆
さあ、石原裕次郎については、あと2作に触れておきましょう。まずは1968年に公開した映画「黒部の太陽」ですね。
主演は、あんと三船敏郎と石原裕次郎という日本の2大スターが共演を果たしています。三船プロダクションと石原プロモーションの共同制作ですね。あまりに費用がかかるため、裕次郎は俳優の宇野重吉に助けを求めたところ、全面協力を得られたため裕次郎は宇野重吉を後々まで慕ったといわれているようです。ちなみに宇野重吉は寺尾聰の実の父親ですね。
ほかに宇野重吉、寺尾聰、志村喬、高峰三枝子らが出演しています。興行的にも大ヒットだったようですが、いかんせん製作費がかさんで石原プロの財政を圧迫したとも言われているようですね。
その後、1970年には、今後は三船プロダクションが製作の映画「待ち伏せ」に石原裕次郎が出演します。
さらにこの映画には、勝新太郎、浅丘ルリ子、中村錦之助、北川美佳(タレント三船美佳の実の母)ら、そうそうたるメンバーがキャスティングされて話題になりました。
その後、(一部報道では映画での経済難を脱出するために渋々承諾した)テレビの世界にも進出し、ドラマ「太陽にほえろ!」シリーズ(1972~1986年)や、「大都会」シリーズ(石原裕次郎×渡哲也×倉本聰)、「西部警察」シリーズ(1979~1984年)が人気を博しましたね。
特に「太陽にほえろ!」シリーズは、今でもよくお笑い芸人がネタにしていたりしていますね。特に出演していた松田優作(ニックネームはジーパン)の「なんじゃこりゃ~!」というセリフはよく聞きます。
「西部警察」も渡哲也、舘ひろし、寺尾聰、峰竜太、三浦友和、古手川祐子など豪華キャストが出演していた大人気シリーズでこちらもテーマソングやポスターを見ればすぐにわかると思います。
僕は最近WOWOWで黒澤明監督の映画を一挙放送するという企画で、たくさんの黒澤映画を観て、すっかり三船さんの魅力にやられました☆
もっと人気があっていいと思うのですが、あまり若い人で知っている人が少ないんですよね。国際的なスターなのに不思議です。自分も、もっと早く三船敏郎のことを知りたかったなぁ~とつくづく思います。たまたまWOWOWで放送されたから良かったですけどね(^^;
三船さんは、黒澤明監督の映画には多数主演しています。黒澤明監督の映画もたくさん観たいと思っていたんですが、なかなか機会がないというか、テレビでもっとやってほしいですよね。
もうすべて何度も見返したくなる最高傑作です☆
年代順に見ていくと、まず1954年「七人の侍」ですね。
もうこの作品はいわずもがなの有名な作品です。日本のみならず外国の俳優や監督にもファンが多い作品です。ヴェネチア映画祭で銀獅子賞(現在の銀獅子賞は監督賞的な意味ですが、当時は2等賞の作品賞的な意味合いだったようです)を受賞しました。
例えば、スティーヴン・スピルバーグ監督なんかも映画製作に行き詰った時などに、インスピレーションを得るために見る映画作品の1つとして挙げていました。(ちなみに他には「素晴らしき哉、人生!」「アラビアのロレンス」「捜索者」など)
三船敏郎と志村喬(しむら たかし)の2人が主人公で、他にも7人の侍の中には黒澤映画の常連俳優木村功らが起用されていました。
白黒映画で、なんと上映時間は3時間45分という長さです。
そこで雇われたのが、志村喬をはじめとする7人の侍ですね。もっとも、最初から7人いたわけではなくて、奇遇な縁で集まった者や噂を聞きつけてスカウトした者、勝手についてきた者など、どこか運命的な7人がシンクロにシティに導かれるようにして集まるわけですね。
それぞれの生い立ちや参加した理由、背景など様々な人間ドラマが織り込まれている名作です。この映画はアメリカでもリメイクされ「荒野の七人」(1960)という映画があります。
特に最後に志村喬が言った下記のセリフは印象的で、三谷幸喜さんのドラマ「合い言葉は勇気」でも使われているくらいです。
※あ、ネタバレになるので、知りたくない人は、この先は読まないで下さいね。というか、このサイト自体、数多くのネタバレしまくっております。他の作品についても、ネタバレが嫌な方は、このサイトを訪問すること自体、推奨できかねます。ご了承下さい<(_ _)>
志村喬が言った言葉は、
「勝ったのは、わしらではない。勝ったのは、あの百姓たちだ」
カッコ良かったですねー☆
三船敏郎は、この映画で受賞こそ逃しましたが、英国アカデミー賞の主演男優賞にノミネートされました。
1961年には映画「用心棒」に主演。
この作品は、トム・クルーズなんかも大好きな日本映画の1つだと言ってました。三船敏郎のハマリ役の1つでもあります。なんと日本人にしてヴェネツィア映画祭で主演男優賞に輝いています。ちゃんと調べてはいないけど、たぶん三船敏郎の他にこの賞に輝いた日本人いないんじゃないかな?
これがまたカッコイイし、憎めないし、とてつもなく頼りがいのあるキャラなんですよね~ヽ(´▽`)/
ちなみに名前を聞かれた時に、たまたま目の前に桑畑が広がっていたため、「桑畑 三十郎。といっても、もうすぐ四十郎だがな」と言うシーンがあります。(おそらく偽名という設定かな)
ちなみにIMDbをみると「Yojimbo the Bodyguard」(用心棒 ザ・ボディガード)というタイトルになっていますので、そのまま「用心棒」という名前でアメリカでも浸透しているようですね。たしか、トム・クルーズも「用心棒」とそのまま発音していました。
そしてそして、あのケヴィン・コスナーとホイットニー・ヒューストンが主演し、主題歌「I Will Always Love You」も世界的に大ヒットしたハリウッド映画「ボディガード」の中に「用心棒」が登場するのを覚えていますか?
主人公のケヴィン・コスナー演じるフランクが、ホイットニーとデートで一緒に観る映画が「用心棒」です。1シーンが思いっきり登場しています。ホイットニーに「今までこの映画を何回観たの?」と聞かれ、フランクは「62回」と答えます(笑)スゴイ!そんなに観てる日本人すら少ないと思うぞ。。。
ちなみに原作は特にないですが、ダシール・ハメットというアメリカの作家が書いた探偵小説「血の収穫」にヒントをたくさん得たということです。
「用心棒」も実はハリウッド映画化されていて、イタリア映画「荒野の用心棒」(1964)というタイトルで主演はクリント・イーストウッドです。ただし、実はこの作品、「用心棒」を製作した東宝に無断でリメイクされたとして、東宝が訴えを起こし勝訴しています。
続編としてつながりがあるかと言われれば、ないんですが(笑)、主人公の三船敏郎演じる浪人は、名前を聞かれて、たまたま庭に咲いていた椿の花を見て、「椿 三十郎(つばき さんじゅうろう)。といっても、もうすぐ四十郎だがな」と言います。
この言い回しが苗字こそ違いますが、「用心棒」に出てきた言い回しと同じで、名前も三十郎ということから続編だとわかります。続編というかシリーズに近いかな?3作目、4作目と続いてほしかったですね♪
ちなみに、「椿三十郎」の中でのライバル役は、やはり仲代達矢が演じています。敵側の用心棒ですな。また、志村喬も当然、共演しています。
この作品も最高にカッコ良くて、愛らしくて、そして胸がスカッとして、勧善懲悪がもたらしてくれる、独特な安心感を感じさせてくれますよ♪
「用心棒」よりも、コミカルな要素や知的な要素が加わっているんですが、その要因は加山雄三や田中邦衛といった共演者の若侍たちです。彼らと三十郎のやりとりがこっけいで観ていて面白いです(笑)もちろん、救おうとしている姫たちも、やけにノンビリした性格で笑えます。
さらに日本でもリメイクしていて、2007年に角川春樹が製作、東宝が配給を担当して映画「椿三十郎」が公開されました。
主演は、織田裕二。どんなもんだろう?と観てみたら、すごく良かった!三船さんにはかなわないですが、織田裕二は時代劇に向いていると思ったなぁ~!
ライバル役には豊川悦司。これはいただけなかった。ライバル役には今なら伊藤英明か坂口憲二、はたまた江口洋介、唐沢寿明、真田広之などなど、いくらでも適役の人はいただろうと思うんだが、、、残念。
あとは、中村玉緒さんが出演していたのは、最高でした。あの役にはピッタリなキャラクターだと思います(笑)
他には松山ケンイチ、佐々木蔵之介、風間杜夫、西岡徳馬、小林稔侍、藤田まこと等が出演しました。
あ、「椿三十郎」の原作は日本の作家、山本周五郎の小説「日日平安」です。さすが山本周五郎☆
1965年には「赤ひげ」が公開されました。再び若き日の加山雄三と三船敏郎コンビが主演ですが、この映画は三船&黒澤コンビの最高傑作といってもいいくらい、大好きな映画の1つです。
こちらも原作は山本周五郎の「赤ひげ診療譚」です。
加山&三船の他にも、香川京子、志村喬、笠智衆、山崎努など豪華キャストが出演しています。
特に、香川京子は良かったなぁ~!綺麗だったし、あの清純なイメージの香川京子さんが妖艶な女性を演じるなんて!とドキドキしちゃいましたヽ(´▽`)/
ちなみに、香川京子さんは、黒澤映画で三船さんと一番たくさん共演したヒロインなんだそうです。たしかに妻役とか、恋人役とかが多いですね。まあ、三船さんとの共演数は、たぶん志村喬さんがダントツでしょうけど(笑)
ストーリーは、お金にはならないけれど、貧しい人にも誠心誠意、医療を受けさせようと奮闘する医者の元へ留学帰りの若い優秀な医師が送られる。どうやら親が勉強のためにもと手を回したらしいが、若い医師には不満らしい。
しかし、患者に体当たりで向き合う先輩医師の姿を見るにつれ、次第に尊敬の念が湧いてきて、反省する。
そして、最後には・・・という物語です。本当に面白い映画ですよ☆
ちなみに三船敏郎は、この作品でもヴェネツィア映画祭で主演男優賞を受賞しています。2度目!
なので、三船敏郎は日本人なのですが、生まれた場所は中国ということになります。中学卒業後には戦争中だったため徴兵を覚悟で初めて日本の神戸へ行き陸軍に配属されたようです。
終戦後には父親のふるさと秋田県に戻り、その後、軍で知り合ったツテを頼って上京。
東宝撮影所に撮影助手として雇ってもらうために訪れたんですが、映画「二十四の瞳」のヒロインで有名な女優の高峰秀子や黒澤明監督の目にとまり、なぜか俳優としてデューすることになったんだとか。面白い めぐり逢わせですね。
そして映画「銀嶺の果て」にて銀幕デビュー。共演者は志村喬と若山セツ子。脚本は黒澤明。監督は黒澤の親友でもある谷口千吉。谷口は後に若山セツ子と結婚・離婚し、45歳の年に女優の八千草薫(当時26歳)と結婚し谷口が死ぬまで添い遂げています。
ちなみに、三船敏郎は志村喬のことを父親のように慕い、結婚してからも生涯、志村夫妻と家族ぐるみの交流があったそうです。
話しがそれましたが、その後、特に黒澤明監督映画に多数出演。
上記で挙げた代表作以外にも、落ちぶれていくヤクザ役を三船が、そして中年の酔いどれ医師を志村喬が演じた「醉いどれ天使」(1948)、病気に侵された医者を演じた「静かなる決闘」(1949)、拳銃を奪われた刑事を演じた「野良犬」(1949)、この時代に既にパパラッチ問題を扱った「醜聞」(1950)。
そして盗賊役を熱演した「羅生門」(1950)はヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞に輝き、アカデミー賞の外国語映画賞(名誉賞)を受賞しました。共演は京マチ子、志村喬などがいます。
原作は、日本の作家、芥川龍之介の「藪の中」が主ですが、外枠は「羅生門」という形をとっていますね。
さらに黒澤明 監督の作品ではないのですが、稲垣浩という監督の映画「宮本武蔵」(1954年)にも主演しており、こちらもアカデミー外国語映画賞(名誉賞)に輝きました。キャストがすごくて、三船敏郎、八千草薫、三國連太郎です。スゲー!実は、まだ観れてないんですが、これは絶対見てみたい!大好きな俳優・女優さんがそろってるんだもん♪
参考までに、稲垣監督は未亡人に想いを寄せる一途な男を描いた映画「無法松の一生」という作品が有名で、こちらでも三船敏郎は無法松役で主演を務めた経験があります。なんとこちらの作品もヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞に輝いています。
まだまだ続きますよ(笑)
1952年には、溝口健二監督の映画「西鶴一代女」に出演。主演は女優の田中絹代さんで、こちらはヴェネツィア国際映画祭で国際賞を受賞しました。
1958年には、黒澤明 監督の映画「隠し砦の三悪人」に出演。コミカルかつワクワクさせるような謎や冒険のある傑作でした。
面白いのは、ヒロイン役の姫を、当時、女子大生だった上原美佐という人が務めたんですね。たまたま東宝の社員の目にとまり、黒澤明にも見初められて大抜擢されたんだそうです。本作で一躍スターとなりますが、2年後に「やっぱり女優の才能がない」と、惜しくも女優業から引退してしまっています。
ちなみに、本作は「隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS」として2008年にリメイクされました。
配役は、姫役を長澤まさみが演じ、家臣の侍を阿部寛が演じました。ただし、オリジナルとは異なり、主役はこの2人ではなく、ジャニーズの嵐メンバー松本潤が演じたオリジナルキャラクターである武蔵。ストーリーの大半がオリジナル。
他にも共演者には、お笑い芸人の宮川大輔、俳優の椎名桔平などがいます。監督は「ローレライ」「日本沈没」などの樋口真嗣。
1960年には、黒澤明監督の映画「悪い奴ほどよく眠る」に出演。本作は舞台が現代なのでスーツ姿です。これも大変おもしろい映画で、どこか「生きる」に共通する、腐敗しきってしまっている会社組織のあり方について強烈に疑問を問いかけている作品。
三船敏郎と香川京子が共演しています。他に志村喬や、「東京物語」や「男はつらいよ」の御前様でおなじみの笠智衆、そして小説家・有島武郎の実の息子にあたる俳優の森 雅之らが出演しています。
三船敏郎が、身分を偽り巨大企業に対して復讐していく様がカッコ良かったし、まさかのラストに、かなりの衝撃を覚えましたね。
1963年には、黒澤明監督の映画「天国と地獄」に出演。こちらも時代劇ではなく現代が舞台なので会社の重役の1人ということで洋服姿です。奥さん役には香川京子さん☆ハラハラさせる誘拐もので、この映画の模倣反が出るほど反響があったということです。ドラッグの問題にも触れていて、怖さを感じさせます。
さて1968年には、なんと石原裕次郎と三船敏郎という、夢の2大スターが共演を果たします。映画「黒部の太陽」で、実際に富山県にある黒部ダム建設とトンネル建設に関わった人間たちの苦闘を演じています。
共演者には志村喬、そして裕次郎が頼み込み、この映画の製作に尽力してくれた俳優の宇野重吉と、その実の息子である歌手で俳優の寺尾聰らがいます。
配給は日活で、製作は三船プロダクションと石原プロモーションが担当しています。大ヒットしたらしいので、一度見てみたと思いつつまだ未見のままです。。迫力ありそ~☆
監督は熊井啓で、三船敏郎は1989年にも「千利休・本覚坊遺文」という熊井映画に出演。「千利休・本覚坊遺文」はヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞に輝いています。
そしてですね、1970年には、映画「座頭市と用心棒」で、なんと勝新太郎が演じる座頭市と、三船敏郎の演じる用心棒が夢の対決・共演です!ファンにとってはたまらない作品でしょうね。「姿三四郎」の岡本喜八が監督。「座頭市」シリーズの第20作目にあたる記念すべき作品です。
ちなみに、まったくの余談ですが、三船敏郎は、テレビCMにもいくつか出演していて、中でもサッポロビールのコマーシャルで「男は黙って、サッポロビール」というセリフが大流行し、様々なところで使われました。
ちなみに、お笑いコンビのクールポコのネタである「男は黙って○○」というのも、ここからきているのかもしれませんね。
プライベートな三船敏郎の話ついでに、結婚は1度、女優の吉峰幸子と1950年にしています。1950年といったら、三船がこれからスターとして売れはじめるといったところですかね。三船敏郎30歳の年です。息子が1人生まれ、三船史郎という俳優で映画プロデューサーです。
しかし1970年代に入ると三船敏郎の酒乱グセなどに悩まされ、別居。三船側からは何度か離婚を迫ったようですが、結局、吉峰は死ぬまで離婚に応じなかったようです。
この離婚裁判中に、三船は当時、映画で共演もしていた女優の喜多川 美佳と交際。1982年には喜多川 美佳とのあいだに娘が誕生。三船64歳、喜多川34歳の頃でした。
この時の女の子が、現在テレビでタレントとして活躍している三船美佳です。ちなみに、夫は歌手の高橋ジョージで、年の差は24歳。1998年に結婚した当時、三船美佳は16歳、高橋は40歳だったというから驚きです。2人は三船美佳が13歳頃から知り合いだったということです。
1997年に亡くなってしまった三船敏郎は結婚を知らなかったと思いますが、もし生きていたら何と言ったのかな~?それとも既に話してたのかな?この辺のことは、きっと三船美佳さんのインタビューなどで語っているのかもしれませんね。
ただちょっと複雑なのは、結局、最初の妻吉峰幸子とは離婚できていないまま、いわば愛人の子として生まれたので、三船美佳が三船敏郎の子供だと法律上、認知されたのは、三船敏郎の死後、遺言によってだそうです。
1992年に三船敏郎が心筋梗塞で倒れてからは、吉峰幸子が看病を希望したため、つきっきりで看病をして晩年の夫婦仲は良かったらしいです。その後、吉峰幸子が三船より先に1995年に亡くなり、結婚生活に終止符が打たれます。その2年後の1997年には三船敏郎が亡くなっています。
三船敏郎の死去は、日本のみならず外国のエンタメ・メディアでも大々的に報じられ、翌年のアカデミー賞のステージでは追悼のVTRまで流れたらしいです。
さて、最後はそんな大スターだった三船敏郎が世界の巨匠や俳優と共演した作品を紹介しておきますね☆
1967年の「グラン・プリ」ジョン・フランケンハイマー監督。共演者は、イヴ・モンタン。
1971年の「レッド・サン」テレンス・ヤング監督。共演者は、アラン・ドロン。
1976年の「ミッドウェイ」ジャック・スマイト監督。共演者は、チャールトン・ヘストン、ヘンリー・フォンダ、グレン・フォード。
1979年の「1941」スティーブン・スピルバーグ監督。共演者は、ダン・エイクロイド。
1980年の「インチョン!」テレンス・ヤング監督。共演者は、ローレンス・オリビエ。
1980年の「兜KABUTO」ゴードン・ヘスラー監督。共演者は、ショー・コスギ。
1994年の「シャドウ・オブ・ウルフ」では、ドナルド・サザーランドらと共演。
さすが世界のミフネ。そうそうたるメンバーと仕事をしているんですね!ちなみに、僕のオススメ三船敏郎 映画トップ3は、「赤ひげ」、「用心棒」、「椿三十郎」です。他にも「七人の侍」「悪い奴ほどよく眠る」など傑作・名作ぞろいなので、ぜひ1度観てみてくださいね♪
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何といっても、叔父が映画監督のフランシス・フォード・コッポラというのは有名な話。ニコラス・ケイジの父親の弟がフランシス・フォード・コッポラです。
父親は大学教授で小説家、母親はバレエ・ダンサー、2人いる兄のうち1人は映画監督、いとこには女優のソフィア・コッポラなどがいるみたいです。芸能一家ですね。
ただ、若い頃はオーディションなどでニコラス・コッポラという本名を出すと、叔父のフランシスのことばかり聞かれたので、後にニコラス・ケイジという芸名で俳優をやることにしたのだそうです。ちなみにケイジはアメリカのコミックの主人公の名前からとったらしいです。
ちなみに、Saturnとは悪魔のサタン(Satan)ではなく、土星という意味ですので、お間違いなく(笑)
代表作は、まず1986年の「ペギー・スーの結婚」で女優キャスリーン・ターナーと共演します。この映画、監督はフランシス・フォード・コッポラだったんですね。この作品、なかなか良かったなぁ~☆
ストーリーは、宝くじで大金が当たった警察官男性が、いきつけのレストランのウェイトレスをしている女性に恋をするというもの。実は、ニコラス・ケイジの2014年現在の妻は、元ウェイトレスの女性なんですね。不思議な偶然ですよねヽ(´▽`)/
同じく1994年の映画「不機嫌な赤いバラ」にも出演しますが、共演者はなんとシャーリー・マクレーンです。ビリー・ワイルダー監督の映画で「アパートの鍵貸します」など複数本の主演を務めた、あの女優さんですね。
ちなみに、この映画は最高傑作です。ニコラス・ケイジ出演作の中でも、一番好きな作品の1つですね☆
笑えて、ドキドキして、最後は感動できて、ガッツポーズしちゃいますよ(笑)
さらに同年「ザ・ロック」という映画で、ショーン・コネリーと共演。マイケル・ベイが監督ということもあってエンタメ性の強い面白い作品でした。他に「アポロ13」や「トゥルーマン・ショー」などの俳優エド・ハリスなんかも出演しています。
1997年には、映画「コン・エアー」に出演し、俳優ジョン・キューザックやジョン・マルコヴィッチらと共演。この時のニコラス・ケイジは、かなりマッチョでした。体を鍛えたのかな?
同じく2000年には「天使のくれた時間」に出演。この映画はフランク・キャプラ監督の「素晴らしき哉、人生!」をモチーフにした作品。もしもあの時違った選択をしていたら人生はどうなっていただろう?というのがテーマになっています。
共演のヒロイン役には女優ティア・レオーニ。「Xファイル」で有名な俳優デイヴィッド・ドゥカヴニーの元妻です。
2001年には、「コレリ大尉のマンドリン」でペネロペ・クルスと共演しています。ちょっと意外な組み合わせだな~☆
そして2005年には大ヒット映画「ナショナル・トレジャー」に出演。「キッド」「あなたが寝てる間に・・・」などで有名なジョン・タートルトーブ監督のディズニー映画。Wikipediaを見ると350億円近くの興行成績をたたき出したみたいですね!おそらくニコラス・ケイジ自身も最大のヒット作になったことでしょう。
そしてニコラス・ケイジ演じる主人公の父親役には、女優アンジェリーナ・ジョリーの実の父親ジョン・ヴォイトが、さらに祖父役は、名画「サウンド・オブ・ミュージック」のクリストファー・プラマーが担当するなど豪華なキャスティングです。
個人的にも、ニコラス・ケイジの作品の中でベスト3に入るくらい好きな作品です☆
この作品は続編も製作され、2007年に「ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の日記」が公開されました。
ちなみに、この作品のプロモーション活動の一環でニコラス・ケイジとジョン・タートルトーブが来日した際には、3作目は日本で撮るぞー!みたいなことを言っていたんですが、2014年現在、結局まだ製作されていません(笑)
そのかわり、同じジョン・タートルトーブ監督とタッグを組んで2010年に「魔法使いの弟子」という映画に出演しました。こちらも大変面白かったです。共演者にはモニカ・ベルッチなども出演しています。
同年2010年には、ブラッド・ピットが製作に参加した主演クロエ・モレッツの「キック・アス」にもビッグ・ダディ役として出演しています。
ただ、2009年頃に浪費癖から財政難になってしまい税金を滞納して所有していた何軒かの家を競売にかけたと報道されました。
たしかに、ニコラス・ケイジは大の車好きで、フェラーリやランボルギーニを何台も所有しているそうです。お城のような別宅を何軒も所有しているとか、恐竜の化石のコレクションなどかなり派手にお金を使っていたそうです。
そのせいなのか、最近はたくさんの映画に出演していますね。まあ、映画ファンとしては、たくさんの作品に出演してくれて嬉しい限りですね♪
「ゴーストライダー」「ゴーストライダー2」「デビルクエスト」「ゲットバック」などに出演しています。
プライベートでは、3度結婚しています。最初は海外ドラマ「ミディアム」で有名な女優パトリシア・アークエットと1995年から2001年まで結婚していました。
2度目は2002年に、なんとマイケル・ジャクソンとも結婚していた、エルヴィス・プレスリーの娘リサ・マリー・プレスリーと結婚してるんですね!
そして、3度目の結婚は、2004年に当時ロスの寿司屋でウェイトレスをしていた韓国系アメリカ人の一般女性と電撃結婚。前述したとおり、まさに「あなたに降る夢」のようなシンデレラ・ストーリーですね。2005年、2人の間には男の子も誕生しています。
何にせよ、今後もますます、たくさんの作品でニコラス・ケイジの活躍する姿が見られることを期待しています♪
願わくば、ジョン・タートルトーブ監督と「ナショナル・トレジャー」第3弾を日本篇で!もしくは「魔法使いの弟子」の第2作目が公開されたら嬉しいな~☆
あ、そーいえば、ニコラス・ケイジがシルヴェスター・スタローンやジェイソン・ステイサム、ジェット・リー、アーノルド・シュワルツェネガーらが出演して豪華キャストが話題となった「エクスペンダブルズ」シリーズの第3弾に出演するかもという噂が流れていましたが、結局、ハリソン・フォードとメル・ギブソンがゲスト出演するということになりましたね。ちょっと残念。
ニコラス・ケイジとウィル・スミスなんて組み合わせはどうかしら?頭脳派と肉体派の2人が刑事役で相棒なんて面白そうじゃない?(笑)
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もう言わずもがなのトップスターですよね。彼ほど長い間ハリウッドの第一線で活躍し続けているイケメン俳優はいないんじゃないかというくらい数多くの映画に主演している1人です。
映画を作ることが大好きと公言するくらいの仕事人間で、もともとレスリングをやっていたくらい体もしっかりと鍛えています。
そのため50歳を超えてもアクション映画で主演を務めていたり、SF映画でスタントマンを使わずに自分できわどいシーンに挑戦したりもしています。
代表作は、トニー・スコット監督の映画「トップガン」(1986)で、アメリカ海軍の戦闘機のパイロットを演じ、世界的に大ブレイクしました。この作品にはメグ・ライアンやティム・ロビンスなんかも出演しています。
その後、1988年にはアカデミー作品賞とダスティン・ホフマンが主演賞を受賞した映画「レインマン」に出演。
1989年には、オリバー・ストーン監督のベトナム戦争を扱った映画「7月4日に生まれて」でゴールデングローブ賞の主演男優賞を受賞。この作品には女優キーラ・セジウィックなんかも出演してますね。
1990年にミミ・ロジャースと離婚。同年12月にニコール・キッドマンと結婚します。この時、トム・クルーズは28歳の年で、ニコール・キッドマンは23歳の年ですね。2人の養子をとっています。
1993年には、シドニー・ポラック監督の「ザ・ファーム 法律事務所」でジーン・ハックマンやエド・ハリスと共演。
1994年には、ブラッド・ピットと共演を果たした吸血鬼映画「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」に出演。キルスティン・ダンストなんかも出演してます。
この会社は、パラマウント映画が出資してくれていたらしいです。第一弾の作品は、あの人気シリーズ「ミッション:インポッシブル」(1996)シリーズです。
そう!トム・クルーズと言えば、やっぱり近年はこのシリーズが一番有名な感じですよね。
トム・クルーズ主演の映画「ミッション・インポッシブル」シリーズは2014年現在、すでに4作が公開されていて、いずれも大ヒットしています。さらに2015年12月にはシリーズ5作目も公開予定だと発表されています。
2作目は、2000年にジョン・ウーが監督を務め、3作目は、2006年にJ・J・エイブラムスが監督を担当しフィリップ・シーモア・ホフマン、ケリー・ラッセル、ローレンス・フィッシュバーンらが出演。トム演じるイーサンの妻役には、ミシェル・モナハンという女優さんが抜擢されました。4作目は、2011年に公開され、ジェレミー・レナーなどが出演しています。
さらに「ミッション:インポッシブル」第1作と同じ1996年には、映画「ザ・エージェント」が公開されました。
監督はキャメロン・クロウで、共演者のキューバ・グッディング・Jrはアカデミー助演男優賞に輝きました。この時の喜びようがほほえましくて、受賞式でのスピーチも観ているこっちが嬉しくなってしまうほどです。
アカデミー賞の公式動画が公開されていますので、ご紹介しておきますね☆
1999年には、カルト映画として有名な「マグノリア」に出演して、ゴールデングローブ賞助演男優賞を受賞しました。
さらに同年、あの伝説的な映画監督スタンリー・キューブリックの映画「アイズ ワイド シャット」に当時妻であった女優のニコール・キッドマンとともに主演を務めます。この時スタンリー・キューブリック監督はすでに70才で、映画が完成して試写会が行われた数日後に自宅で亡くなりました。
ちなみに、2年後の2001年にニコール・キッドマンと離婚。その後はペネロペ・クルスと交際していたみたいですが2004年に結局破局したと報道されました。
トムとペネロペの2人は2001年の映画「バニラ・スカイ」で共演しています。
2002年には、スティーヴン・スピルバーグ監督の映画「マイノリティ・リポート」に出演し、コリン・ファレルらと共演。この映画は近未来を描いた作品で、トムが犯罪者扱いされ警察から逃げる物語なんですが、すごく面白かったですね☆
2004年には映画「コラテラル」で、殺し屋の役を演じます。トム・クルーズは、あんまり悪役のイメージがなかったので結構新鮮でしたね。監督は「アビエイター」や「ハンコック」のマイケル・マン。共演者はジェイミー・フォックスです。ジェイソン・ステイサムもチョイ役で出演しているんだそうです。気づかなかった!序盤に登場する空港の男とのこと。
2006年には、シーズン6まで続いたアメリカのTVドラマ「ドーソンズ・クリーク」に出演していたことで知られる女優ケイティ・ホームズと結婚します。この時トムは44歳、ケイティーは28歳の年です。2人の間にはスリちゃんという名前の女の子が生まれました。トムにとってもケイティにとっても初めての実子です。
まあ、いつもスリちゃんはセレブでお嬢様タイプの格好、シャイロちゃんはお転婆で着の身着のままな感じという対照的な扱いをされることが多いですね(笑)
数年後に、もしかしたら2人が女優として共演するなんてこともあるかも?
さあ、まだまだトム・クルーズの出演映画は続きます(笑)
と、その前に・・・実は2006年に先程ご紹介したクルーズ/ワグナー・プロダクションズというパラマウントと組んで設立した映画製作会社ですが、パラマウントが一方的に契約を解除してきたんですね。
原因は2005年頃にケイティへの想いをオプラ・ウィンフリーの番組で大声で叫んだり、番組セットのソファーの周りを飛びまわったりしたことが、あまりに奇抜だったと話題になってしまったり、新宗教のサイエントロジーの信者であることを公言して様々なメディアで論争したりしたため、マスコミの餌食になったみたいですね。ちなみにサイエントロジーには1番目の妻ミミ・ロジャースを通じて関わるようになったとBBCニュースが報じています。
まあ、色々と世間を騒がせたから、パラマウントが手を切ったということなのかな~?ただ結局は、クルーズ・ワグナー・プロダクションズは、フットボールチームのオーナーなどから投資してもらい晴れてパラマウントから独立できました。トムもワグナーもパラマウントの扱いには怒り心頭だったようで、後にパラマウントの親会社バイアコムの会長が謝罪に近い言葉を発しているものの、さすがに無視したようです。
ちなみに、先ほどのオプラ・ウィンフリーの番組で奇抜は行動をした様は、かなりの人やメディアでパロディー化されました。通常アメリカでは行き過ぎた行為をすることを「Jumping the Shark」(サメを飛び越える)というんですが、これをモジって「Jumping the couch」(ソファーを飛び越える)という言葉まで流行したそうで、意味はWikipediaによると「誰かが公の場で自分の名声を傷つけるのに十分に極端な形で見境を失う」ことだそうです(笑)
さらに同じ2006年に、トムとワグナーが、実質MGM傘下にあったユナイテッド・アーティスツ社の経営トップに就任しました。下火になっていたユナイテッド・アーティスツを再興しようというのが目的だったようです。
ユナイテッド・アーティスツといえば、1919年にチャップリン、メアリー・ピックフォード、ダグラス・フェアバンクス、D・W・グリフィス監督の4人のビッグスターによって設立された夢の映画製作・配給会社です。
チャップリンの作った映画会社のトップにトム・クルーズが就任するなんて、エンタメの歴史って面白いですね☆
ただ2008年にはワグナーが退任しています。トムは今も経営に携わってるのかなー?MGMは今後もユナイテッド・アーティスツから映画を発信していきたいといってるみたいです。
というわけでトム・クルーズにとって2006年は激動の年だったと言えますね。
翌2007年には、ユナイテッド・アーティスツ社から映画「大いなる陰謀」を発表。ロバート・レッドフォードが監督・製作・主演を務めた作品です。トムはメリル・ストリープ、ロバート・レッドフォードと共演しました。
でもってビックリしたのは、同年「トロピック・サンダー」というコメディ映画に出演しているんですが、この作品はパラマウント映画なんですね。パラマウントとは仲が悪くなったかと思いきや、大人な対応ですね。
ちなみにこの作品でトムはなんと中年太りして、頭のハゲている憎らしい金持ちオヤジというキャラをノリノリで演じています(笑)
2010年には映画「ナイト&デイ」で、キャメロン・ディアスと共演しました。こちらは、キャンペーン企画が面白くて予告編の他に↓のような面白動画も公開されて話題を呼びました。
この番組では、有名人がレース場1週を何秒でまわれるかを競うのですが、そのレーシングになんとトム・クルーズとキャメロン・ディアスが挑戦しています。貴重です。さらに結果やトムのドライビング・テクニック(?)も驚きですよ!
さらにクリストファー・マッカリー監督の「アウトロー」では、アメリカで人気のシリーズ小説の主人公を演じ、女優ロザムンド・パイクと共演しました。
来日した際には、生トム・クルーズを見に行きましたが、めっちゃカッコ良くて完璧でした(笑)
しかし2012年は、ケイティ・ホームズから突然の離婚を突きつけられます。原因は不明ですが、一部メディアではサイエントロジー関連なのでは?とか、トムの束縛に嫌気がさして、などと噂されていました。たしかスリちゃんは母親であるケイティと暮らすことになったほずです。
そんなショックな出来事があったにもかかわらず、トムは仕事に集中し続け、2013年は「オブリビオン」で近未来の世界を描いた映画に出演。
ちなみにトム・クルーズは親日家としても知られていますが、黒澤明監督の「用心棒」とかも好きだと言ってました。
いやはや、トム・クルーズの紹介をかいつまんで書こうと思ったら、ものすごく長いページになってしまった(笑)
やっぱりトム・クルーズは俳優という仕事が大好きな人間なんだな~☆並外れた数の映画に出演してますね!
そしてトムのプロ意識に惹かれたのか、スター性をかわれたのか、様々な偉大な監督と仕事をしていてビックリします。今後もビッグなスターと共演してほしいなぁ~♪ディカプリオとか、ウィル・スミスとかと共演したら面白いですよねヽ(´▽`)/
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