モーガン・フリーマン(Morgan Freeman, 1937-)は、アメリカ・テネシー州出身の俳優ですね。
ジャック・ニコルソン(Jack Nicholson, 1937-)は、アメリカ・ニュージャージー州出身の俳優です。
2014年現在、77才という年齢でありながら今なおバリバリの現役。しかも実力、人気ともに非常に高い俳優なんですね。
かなり たくさんの名作映画に出演してきています。
僕は最近WOWOWで黒澤明監督の映画を一挙放送するという企画で、たくさんの黒澤映画を観て、すっかり三船さんの魅力にやられました☆
もっと人気があっていいと思うのですが、あまり若い人で知っている人が少ないんですよね。国際的なスターなのに不思議です。自分も、もっと早く三船敏郎のことを知りたかったなぁ~とつくづく思います。たまたまWOWOWで放送されたから良かったですけどね(^^;
三船さんは、黒澤明監督の映画には多数主演しています。黒澤明監督の映画もたくさん観たいと思っていたんですが、なかなか機会がないというか、テレビでもっとやってほしいですよね。
もうすべて何度も見返したくなる最高傑作です☆
年代順に見ていくと、まず1954年「七人の侍」ですね。
もうこの作品はいわずもがなの有名な作品です。日本のみならず外国の俳優や監督にもファンが多い作品です。ヴェネチア映画祭で銀獅子賞(現在の銀獅子賞は監督賞的な意味ですが、当時は2等賞の作品賞的な意味合いだったようです)を受賞しました。
例えば、スティーヴン・スピルバーグ監督なんかも映画製作に行き詰った時などに、インスピレーションを得るために見る映画作品の1つとして挙げていました。(ちなみに他には「素晴らしき哉、人生!」「アラビアのロレンス」「捜索者」など)
三船敏郎と志村喬(しむら たかし)の2人が主人公で、他にも7人の侍の中には黒澤映画の常連俳優木村功らが起用されていました。
白黒映画で、なんと上映時間は3時間45分という長さです。
そこで雇われたのが、志村喬をはじめとする7人の侍ですね。もっとも、最初から7人いたわけではなくて、奇遇な縁で集まった者や噂を聞きつけてスカウトした者、勝手についてきた者など、どこか運命的な7人がシンクロにシティに導かれるようにして集まるわけですね。
それぞれの生い立ちや参加した理由、背景など様々な人間ドラマが織り込まれている名作です。この映画はアメリカでもリメイクされ「荒野の七人」(1960)という映画があります。
特に最後に志村喬が言った下記のセリフは印象的で、三谷幸喜さんのドラマ「合い言葉は勇気」でも使われているくらいです。
※あ、ネタバレになるので、知りたくない人は、この先は読まないで下さいね。というか、このサイト自体、数多くのネタバレしまくっております。他の作品についても、ネタバレが嫌な方は、このサイトを訪問すること自体、推奨できかねます。ご了承下さい<(_ _)>
志村喬が言った言葉は、
「勝ったのは、わしらではない。勝ったのは、あの百姓たちだ」
カッコ良かったですねー☆
三船敏郎は、この映画で受賞こそ逃しましたが、英国アカデミー賞の主演男優賞にノミネートされました。
1961年には映画「用心棒」に主演。
この作品は、トム・クルーズなんかも大好きな日本映画の1つだと言ってました。三船敏郎のハマリ役の1つでもあります。なんと日本人にしてヴェネツィア映画祭で主演男優賞に輝いています。ちゃんと調べてはいないけど、たぶん三船敏郎の他にこの賞に輝いた日本人いないんじゃないかな?
これがまたカッコイイし、憎めないし、とてつもなく頼りがいのあるキャラなんですよね~ヽ(´▽`)/
ちなみに名前を聞かれた時に、たまたま目の前に桑畑が広がっていたため、「桑畑 三十郎。といっても、もうすぐ四十郎だがな」と言うシーンがあります。(おそらく偽名という設定かな)
ちなみにIMDbをみると「Yojimbo the Bodyguard」(用心棒 ザ・ボディガード)というタイトルになっていますので、そのまま「用心棒」という名前でアメリカでも浸透しているようですね。たしか、トム・クルーズも「用心棒」とそのまま発音していました。
そしてそして、あのケヴィン・コスナーとホイットニー・ヒューストンが主演し、主題歌「I Will Always Love You」も世界的に大ヒットしたハリウッド映画「ボディガード」の中に「用心棒」が登場するのを覚えていますか?
主人公のケヴィン・コスナー演じるフランクが、ホイットニーとデートで一緒に観る映画が「用心棒」です。1シーンが思いっきり登場しています。ホイットニーに「今までこの映画を何回観たの?」と聞かれ、フランクは「62回」と答えます(笑)スゴイ!そんなに観てる日本人すら少ないと思うぞ。。。
ちなみに原作は特にないですが、ダシール・ハメットというアメリカの作家が書いた探偵小説「血の収穫」にヒントをたくさん得たということです。
「用心棒」も実はハリウッド映画化されていて、イタリア映画「荒野の用心棒」(1964)というタイトルで主演はクリント・イーストウッドです。ただし、実はこの作品、「用心棒」を製作した東宝に無断でリメイクされたとして、東宝が訴えを起こし勝訴しています。
続編としてつながりがあるかと言われれば、ないんですが(笑)、主人公の三船敏郎演じる浪人は、名前を聞かれて、たまたま庭に咲いていた椿の花を見て、「椿 三十郎(つばき さんじゅうろう)。といっても、もうすぐ四十郎だがな」と言います。
この言い回しが苗字こそ違いますが、「用心棒」に出てきた言い回しと同じで、名前も三十郎ということから続編だとわかります。続編というかシリーズに近いかな?3作目、4作目と続いてほしかったですね♪
ちなみに、「椿三十郎」の中でのライバル役は、やはり仲代達矢が演じています。敵側の用心棒ですな。また、志村喬も当然、共演しています。
この作品も最高にカッコ良くて、愛らしくて、そして胸がスカッとして、勧善懲悪がもたらしてくれる、独特な安心感を感じさせてくれますよ♪
「用心棒」よりも、コミカルな要素や知的な要素が加わっているんですが、その要因は加山雄三や田中邦衛といった共演者の若侍たちです。彼らと三十郎のやりとりがこっけいで観ていて面白いです(笑)もちろん、救おうとしている姫たちも、やけにノンビリした性格で笑えます。
さらに日本でもリメイクしていて、2007年に角川春樹が製作、東宝が配給を担当して映画「椿三十郎」が公開されました。
主演は、織田裕二。どんなもんだろう?と観てみたら、すごく良かった!三船さんにはかなわないですが、織田裕二は時代劇に向いていると思ったなぁ~!
ライバル役には豊川悦司。これはいただけなかった。ライバル役には今なら伊藤英明か坂口憲二、はたまた江口洋介、唐沢寿明、真田広之などなど、いくらでも適役の人はいただろうと思うんだが、、、残念。
あとは、中村玉緒さんが出演していたのは、最高でした。あの役にはピッタリなキャラクターだと思います(笑)
他には松山ケンイチ、佐々木蔵之介、風間杜夫、西岡徳馬、小林稔侍、藤田まこと等が出演しました。
あ、「椿三十郎」の原作は日本の作家、山本周五郎の小説「日日平安」です。さすが山本周五郎☆
1965年には「赤ひげ」が公開されました。再び若き日の加山雄三と三船敏郎コンビが主演ですが、この映画は三船&黒澤コンビの最高傑作といってもいいくらい、大好きな映画の1つです。
こちらも原作は山本周五郎の「赤ひげ診療譚」です。
加山&三船の他にも、香川京子、志村喬、笠智衆、山崎努など豪華キャストが出演しています。
特に、香川京子は良かったなぁ~!綺麗だったし、あの清純なイメージの香川京子さんが妖艶な女性を演じるなんて!とドキドキしちゃいましたヽ(´▽`)/
ちなみに、香川京子さんは、黒澤映画で三船さんと一番たくさん共演したヒロインなんだそうです。たしかに妻役とか、恋人役とかが多いですね。まあ、三船さんとの共演数は、たぶん志村喬さんがダントツでしょうけど(笑)
ストーリーは、お金にはならないけれど、貧しい人にも誠心誠意、医療を受けさせようと奮闘する医者の元へ留学帰りの若い優秀な医師が送られる。どうやら親が勉強のためにもと手を回したらしいが、若い医師には不満らしい。
しかし、患者に体当たりで向き合う先輩医師の姿を見るにつれ、次第に尊敬の念が湧いてきて、反省する。
そして、最後には・・・という物語です。本当に面白い映画ですよ☆
ちなみに三船敏郎は、この作品でもヴェネツィア映画祭で主演男優賞を受賞しています。2度目!
なので、三船敏郎は日本人なのですが、生まれた場所は中国ということになります。中学卒業後には戦争中だったため徴兵を覚悟で初めて日本の神戸へ行き陸軍に配属されたようです。
終戦後には父親のふるさと秋田県に戻り、その後、軍で知り合ったツテを頼って上京。
東宝撮影所に撮影助手として雇ってもらうために訪れたんですが、映画「二十四の瞳」のヒロインで有名な女優の高峰秀子や黒澤明監督の目にとまり、なぜか俳優としてデューすることになったんだとか。面白い めぐり逢わせですね。
そして映画「銀嶺の果て」にて銀幕デビュー。共演者は志村喬と若山セツ子。脚本は黒澤明。監督は黒澤の親友でもある谷口千吉。谷口は後に若山セツ子と結婚・離婚し、45歳の年に女優の八千草薫(当時26歳)と結婚し谷口が死ぬまで添い遂げています。
ちなみに、三船敏郎は志村喬のことを父親のように慕い、結婚してからも生涯、志村夫妻と家族ぐるみの交流があったそうです。
話しがそれましたが、その後、特に黒澤明監督映画に多数出演。
上記で挙げた代表作以外にも、落ちぶれていくヤクザ役を三船が、そして中年の酔いどれ医師を志村喬が演じた「醉いどれ天使」(1948)、病気に侵された医者を演じた「静かなる決闘」(1949)、拳銃を奪われた刑事を演じた「野良犬」(1949)、この時代に既にパパラッチ問題を扱った「醜聞」(1950)。
そして盗賊役を熱演した「羅生門」(1950)はヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞に輝き、アカデミー賞の外国語映画賞(名誉賞)を受賞しました。共演は京マチ子、志村喬などがいます。
原作は、日本の作家、芥川龍之介の「藪の中」が主ですが、外枠は「羅生門」という形をとっていますね。
さらに黒澤明 監督の作品ではないのですが、稲垣浩という監督の映画「宮本武蔵」(1954年)にも主演しており、こちらもアカデミー外国語映画賞(名誉賞)に輝きました。キャストがすごくて、三船敏郎、八千草薫、三國連太郎です。スゲー!実は、まだ観れてないんですが、これは絶対見てみたい!大好きな俳優・女優さんがそろってるんだもん♪
参考までに、稲垣監督は未亡人に想いを寄せる一途な男を描いた映画「無法松の一生」という作品が有名で、こちらでも三船敏郎は無法松役で主演を務めた経験があります。なんとこちらの作品もヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞に輝いています。
まだまだ続きますよ(笑)
1952年には、溝口健二監督の映画「西鶴一代女」に出演。主演は女優の田中絹代さんで、こちらはヴェネツィア国際映画祭で国際賞を受賞しました。
1958年には、黒澤明 監督の映画「隠し砦の三悪人」に出演。コミカルかつワクワクさせるような謎や冒険のある傑作でした。
面白いのは、ヒロイン役の姫を、当時、女子大生だった上原美佐という人が務めたんですね。たまたま東宝の社員の目にとまり、黒澤明にも見初められて大抜擢されたんだそうです。本作で一躍スターとなりますが、2年後に「やっぱり女優の才能がない」と、惜しくも女優業から引退してしまっています。
ちなみに、本作は「隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS」として2008年にリメイクされました。
配役は、姫役を長澤まさみが演じ、家臣の侍を阿部寛が演じました。ただし、オリジナルとは異なり、主役はこの2人ではなく、ジャニーズの嵐メンバー松本潤が演じたオリジナルキャラクターである武蔵。ストーリーの大半がオリジナル。
他にも共演者には、お笑い芸人の宮川大輔、俳優の椎名桔平などがいます。監督は「ローレライ」「日本沈没」などの樋口真嗣。
1960年には、黒澤明監督の映画「悪い奴ほどよく眠る」に出演。本作は舞台が現代なのでスーツ姿です。これも大変おもしろい映画で、どこか「生きる」に共通する、腐敗しきってしまっている会社組織のあり方について強烈に疑問を問いかけている作品。
三船敏郎と香川京子が共演しています。他に志村喬や、「東京物語」や「男はつらいよ」の御前様でおなじみの笠智衆、そして小説家・有島武郎の実の息子にあたる俳優の森 雅之らが出演しています。
三船敏郎が、身分を偽り巨大企業に対して復讐していく様がカッコ良かったし、まさかのラストに、かなりの衝撃を覚えましたね。
1963年には、黒澤明監督の映画「天国と地獄」に出演。こちらも時代劇ではなく現代が舞台なので会社の重役の1人ということで洋服姿です。奥さん役には香川京子さん☆ハラハラさせる誘拐もので、この映画の模倣反が出るほど反響があったということです。ドラッグの問題にも触れていて、怖さを感じさせます。
さて1968年には、なんと石原裕次郎と三船敏郎という、夢の2大スターが共演を果たします。映画「黒部の太陽」で、実際に富山県にある黒部ダム建設とトンネル建設に関わった人間たちの苦闘を演じています。
共演者には志村喬、そして裕次郎が頼み込み、この映画の製作に尽力してくれた俳優の宇野重吉と、その実の息子である歌手で俳優の寺尾聰らがいます。
配給は日活で、製作は三船プロダクションと石原プロモーションが担当しています。大ヒットしたらしいので、一度見てみたと思いつつまだ未見のままです。。迫力ありそ~☆
監督は熊井啓で、三船敏郎は1989年にも「千利休・本覚坊遺文」という熊井映画に出演。「千利休・本覚坊遺文」はヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞に輝いています。
そしてですね、1970年には、映画「座頭市と用心棒」で、なんと勝新太郎が演じる座頭市と、三船敏郎の演じる用心棒が夢の対決・共演です!ファンにとってはたまらない作品でしょうね。「姿三四郎」の岡本喜八が監督。「座頭市」シリーズの第20作目にあたる記念すべき作品です。
ちなみに、まったくの余談ですが、三船敏郎は、テレビCMにもいくつか出演していて、中でもサッポロビールのコマーシャルで「男は黙って、サッポロビール」というセリフが大流行し、様々なところで使われました。
ちなみに、お笑いコンビのクールポコのネタである「男は黙って○○」というのも、ここからきているのかもしれませんね。
プライベートな三船敏郎の話ついでに、結婚は1度、女優の吉峰幸子と1950年にしています。1950年といったら、三船がこれからスターとして売れはじめるといったところですかね。三船敏郎30歳の年です。息子が1人生まれ、三船史郎という俳優で映画プロデューサーです。
しかし1970年代に入ると三船敏郎の酒乱グセなどに悩まされ、別居。三船側からは何度か離婚を迫ったようですが、結局、吉峰は死ぬまで離婚に応じなかったようです。
この離婚裁判中に、三船は当時、映画で共演もしていた女優の喜多川 美佳と交際。1982年には喜多川 美佳とのあいだに娘が誕生。三船64歳、喜多川34歳の頃でした。
この時の女の子が、現在テレビでタレントとして活躍している三船美佳です。ちなみに、夫は歌手の高橋ジョージで、年の差は24歳。1998年に結婚した当時、三船美佳は16歳、高橋は40歳だったというから驚きです。2人は三船美佳が13歳頃から知り合いだったということです。
1997年に亡くなってしまった三船敏郎は結婚を知らなかったと思いますが、もし生きていたら何と言ったのかな~?それとも既に話してたのかな?この辺のことは、きっと三船美佳さんのインタビューなどで語っているのかもしれませんね。
ただちょっと複雑なのは、結局、最初の妻吉峰幸子とは離婚できていないまま、いわば愛人の子として生まれたので、三船美佳が三船敏郎の子供だと法律上、認知されたのは、三船敏郎の死後、遺言によってだそうです。
1992年に三船敏郎が心筋梗塞で倒れてからは、吉峰幸子が看病を希望したため、つきっきりで看病をして晩年の夫婦仲は良かったらしいです。その後、吉峰幸子が三船より先に1995年に亡くなり、結婚生活に終止符が打たれます。その2年後の1997年には三船敏郎が亡くなっています。
三船敏郎の死去は、日本のみならず外国のエンタメ・メディアでも大々的に報じられ、翌年のアカデミー賞のステージでは追悼のVTRまで流れたらしいです。
さて、最後はそんな大スターだった三船敏郎が世界の巨匠や俳優と共演した作品を紹介しておきますね☆
1967年の「グラン・プリ」ジョン・フランケンハイマー監督。共演者は、イヴ・モンタン。
1971年の「レッド・サン」テレンス・ヤング監督。共演者は、アラン・ドロン。
1976年の「ミッドウェイ」ジャック・スマイト監督。共演者は、チャールトン・ヘストン、ヘンリー・フォンダ、グレン・フォード。
1979年の「1941」スティーブン・スピルバーグ監督。共演者は、ダン・エイクロイド。
1980年の「インチョン!」テレンス・ヤング監督。共演者は、ローレンス・オリビエ。
1980年の「兜KABUTO」ゴードン・ヘスラー監督。共演者は、ショー・コスギ。
1994年の「シャドウ・オブ・ウルフ」では、ドナルド・サザーランドらと共演。
さすが世界のミフネ。そうそうたるメンバーと仕事をしているんですね!ちなみに、僕のオススメ三船敏郎 映画トップ3は、「赤ひげ」、「用心棒」、「椿三十郎」です。他にも「七人の侍」「悪い奴ほどよく眠る」など傑作・名作ぞろいなので、ぜひ1度観てみてくださいね♪
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何といっても、叔父が映画監督のフランシス・フォード・コッポラというのは有名な話。ニコラス・ケイジの父親の弟がフランシス・フォード・コッポラです。
父親は大学教授で小説家、母親はバレエ・ダンサー、2人いる兄のうち1人は映画監督、いとこには女優のソフィア・コッポラなどがいるみたいです。芸能一家ですね。
ただ、若い頃はオーディションなどでニコラス・コッポラという本名を出すと、叔父のフランシスのことばかり聞かれたので、後にニコラス・ケイジという芸名で俳優をやることにしたのだそうです。ちなみにケイジはアメリカのコミックの主人公の名前からとったらしいです。
ちなみに、Saturnとは悪魔のサタン(Satan)ではなく、土星という意味ですので、お間違いなく(笑)
代表作は、まず1986年の「ペギー・スーの結婚」で女優キャスリーン・ターナーと共演します。この映画、監督はフランシス・フォード・コッポラだったんですね。この作品、なかなか良かったなぁ~☆
ストーリーは、宝くじで大金が当たった警察官男性が、いきつけのレストランのウェイトレスをしている女性に恋をするというもの。実は、ニコラス・ケイジの2014年現在の妻は、元ウェイトレスの女性なんですね。不思議な偶然ですよねヽ(´▽`)/
同じく1994年の映画「不機嫌な赤いバラ」にも出演しますが、共演者はなんとシャーリー・マクレーンです。ビリー・ワイルダー監督の映画で「アパートの鍵貸します」など複数本の主演を務めた、あの女優さんですね。
ちなみに、この映画は最高傑作です。ニコラス・ケイジ出演作の中でも、一番好きな作品の1つですね☆
笑えて、ドキドキして、最後は感動できて、ガッツポーズしちゃいますよ(笑)
さらに同年「ザ・ロック」という映画で、ショーン・コネリーと共演。マイケル・ベイが監督ということもあってエンタメ性の強い面白い作品でした。他に「アポロ13」や「トゥルーマン・ショー」などの俳優エド・ハリスなんかも出演しています。
1997年には、映画「コン・エアー」に出演し、俳優ジョン・キューザックやジョン・マルコヴィッチらと共演。この時のニコラス・ケイジは、かなりマッチョでした。体を鍛えたのかな?
同じく2000年には「天使のくれた時間」に出演。この映画はフランク・キャプラ監督の「素晴らしき哉、人生!」をモチーフにした作品。もしもあの時違った選択をしていたら人生はどうなっていただろう?というのがテーマになっています。
共演のヒロイン役には女優ティア・レオーニ。「Xファイル」で有名な俳優デイヴィッド・ドゥカヴニーの元妻です。
2001年には、「コレリ大尉のマンドリン」でペネロペ・クルスと共演しています。ちょっと意外な組み合わせだな~☆
そして2005年には大ヒット映画「ナショナル・トレジャー」に出演。「キッド」「あなたが寝てる間に・・・」などで有名なジョン・タートルトーブ監督のディズニー映画。Wikipediaを見ると350億円近くの興行成績をたたき出したみたいですね!おそらくニコラス・ケイジ自身も最大のヒット作になったことでしょう。
そしてニコラス・ケイジ演じる主人公の父親役には、女優アンジェリーナ・ジョリーの実の父親ジョン・ヴォイトが、さらに祖父役は、名画「サウンド・オブ・ミュージック」のクリストファー・プラマーが担当するなど豪華なキャスティングです。
個人的にも、ニコラス・ケイジの作品の中でベスト3に入るくらい好きな作品です☆
この作品は続編も製作され、2007年に「ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の日記」が公開されました。
ちなみに、この作品のプロモーション活動の一環でニコラス・ケイジとジョン・タートルトーブが来日した際には、3作目は日本で撮るぞー!みたいなことを言っていたんですが、2014年現在、結局まだ製作されていません(笑)
そのかわり、同じジョン・タートルトーブ監督とタッグを組んで2010年に「魔法使いの弟子」という映画に出演しました。こちらも大変面白かったです。共演者にはモニカ・ベルッチなども出演しています。
同年2010年には、ブラッド・ピットが製作に参加した主演クロエ・モレッツの「キック・アス」にもビッグ・ダディ役として出演しています。
ただ、2009年頃に浪費癖から財政難になってしまい税金を滞納して所有していた何軒かの家を競売にかけたと報道されました。
たしかに、ニコラス・ケイジは大の車好きで、フェラーリやランボルギーニを何台も所有しているそうです。お城のような別宅を何軒も所有しているとか、恐竜の化石のコレクションなどかなり派手にお金を使っていたそうです。
そのせいなのか、最近はたくさんの映画に出演していますね。まあ、映画ファンとしては、たくさんの作品に出演してくれて嬉しい限りですね♪
「ゴーストライダー」「ゴーストライダー2」「デビルクエスト」「ゲットバック」などに出演しています。
プライベートでは、3度結婚しています。最初は海外ドラマ「ミディアム」で有名な女優パトリシア・アークエットと1995年から2001年まで結婚していました。
2度目は2002年に、なんとマイケル・ジャクソンとも結婚していた、エルヴィス・プレスリーの娘リサ・マリー・プレスリーと結婚してるんですね!
そして、3度目の結婚は、2004年に当時ロスの寿司屋でウェイトレスをしていた韓国系アメリカ人の一般女性と電撃結婚。前述したとおり、まさに「あなたに降る夢」のようなシンデレラ・ストーリーですね。2005年、2人の間には男の子も誕生しています。
何にせよ、今後もますます、たくさんの作品でニコラス・ケイジの活躍する姿が見られることを期待しています♪
願わくば、ジョン・タートルトーブ監督と「ナショナル・トレジャー」第3弾を日本篇で!もしくは「魔法使いの弟子」の第2作目が公開されたら嬉しいな~☆
あ、そーいえば、ニコラス・ケイジがシルヴェスター・スタローンやジェイソン・ステイサム、ジェット・リー、アーノルド・シュワルツェネガーらが出演して豪華キャストが話題となった「エクスペンダブルズ」シリーズの第3弾に出演するかもという噂が流れていましたが、結局、ハリソン・フォードとメル・ギブソンがゲスト出演するということになりましたね。ちょっと残念。
ニコラス・ケイジとウィル・スミスなんて組み合わせはどうかしら?頭脳派と肉体派の2人が刑事役で相棒なんて面白そうじゃない?(笑)
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もう言わずもがなのトップスターですよね。彼ほど長い間ハリウッドの第一線で活躍し続けているイケメン俳優はいないんじゃないかというくらい数多くの映画に主演している1人です。
映画を作ることが大好きと公言するくらいの仕事人間で、もともとレスリングをやっていたくらい体もしっかりと鍛えています。
そのため50歳を超えてもアクション映画で主演を務めていたり、SF映画でスタントマンを使わずに自分できわどいシーンに挑戦したりもしています。
代表作は、トニー・スコット監督の映画「トップガン」(1986)で、アメリカ海軍の戦闘機のパイロットを演じ、世界的に大ブレイクしました。この作品にはメグ・ライアンやティム・ロビンスなんかも出演しています。
その後、1988年にはアカデミー作品賞とダスティン・ホフマンが主演賞を受賞した映画「レインマン」に出演。
1989年には、オリバー・ストーン監督のベトナム戦争を扱った映画「7月4日に生まれて」でゴールデングローブ賞の主演男優賞を受賞。この作品には女優キーラ・セジウィックなんかも出演してますね。
1990年にミミ・ロジャースと離婚。同年12月にニコール・キッドマンと結婚します。この時、トム・クルーズは28歳の年で、ニコール・キッドマンは23歳の年ですね。2人の養子をとっています。
1993年には、シドニー・ポラック監督の「ザ・ファーム 法律事務所」でジーン・ハックマンやエド・ハリスと共演。
1994年には、ブラッド・ピットと共演を果たした吸血鬼映画「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」に出演。キルスティン・ダンストなんかも出演してます。
この会社は、パラマウント映画が出資してくれていたらしいです。第一弾の作品は、あの人気シリーズ「ミッション:インポッシブル」(1996)シリーズです。
そう!トム・クルーズと言えば、やっぱり近年はこのシリーズが一番有名な感じですよね。
トム・クルーズ主演の映画「ミッション・インポッシブル」シリーズは2014年現在、すでに4作が公開されていて、いずれも大ヒットしています。さらに2015年12月にはシリーズ5作目も公開予定だと発表されています。
2作目は、2000年にジョン・ウーが監督を務め、3作目は、2006年にJ・J・エイブラムスが監督を担当しフィリップ・シーモア・ホフマン、ケリー・ラッセル、ローレンス・フィッシュバーンらが出演。トム演じるイーサンの妻役には、ミシェル・モナハンという女優さんが抜擢されました。4作目は、2011年に公開され、ジェレミー・レナーなどが出演しています。
さらに「ミッション:インポッシブル」第1作と同じ1996年には、映画「ザ・エージェント」が公開されました。
監督はキャメロン・クロウで、共演者のキューバ・グッディング・Jrはアカデミー助演男優賞に輝きました。この時の喜びようがほほえましくて、受賞式でのスピーチも観ているこっちが嬉しくなってしまうほどです。
アカデミー賞の公式動画が公開されていますので、ご紹介しておきますね☆
1999年には、カルト映画として有名な「マグノリア」に出演して、ゴールデングローブ賞助演男優賞を受賞しました。
さらに同年、あの伝説的な映画監督スタンリー・キューブリックの映画「アイズ ワイド シャット」に当時妻であった女優のニコール・キッドマンとともに主演を務めます。この時スタンリー・キューブリック監督はすでに70才で、映画が完成して試写会が行われた数日後に自宅で亡くなりました。
ちなみに、2年後の2001年にニコール・キッドマンと離婚。その後はペネロペ・クルスと交際していたみたいですが2004年に結局破局したと報道されました。
トムとペネロペの2人は2001年の映画「バニラ・スカイ」で共演しています。
2002年には、スティーヴン・スピルバーグ監督の映画「マイノリティ・リポート」に出演し、コリン・ファレルらと共演。この映画は近未来を描いた作品で、トムが犯罪者扱いされ警察から逃げる物語なんですが、すごく面白かったですね☆
2004年には映画「コラテラル」で、殺し屋の役を演じます。トム・クルーズは、あんまり悪役のイメージがなかったので結構新鮮でしたね。監督は「アビエイター」や「ハンコック」のマイケル・マン。共演者はジェイミー・フォックスです。ジェイソン・ステイサムもチョイ役で出演しているんだそうです。気づかなかった!序盤に登場する空港の男とのこと。
2006年には、シーズン6まで続いたアメリカのTVドラマ「ドーソンズ・クリーク」に出演していたことで知られる女優ケイティ・ホームズと結婚します。この時トムは44歳、ケイティーは28歳の年です。2人の間にはスリちゃんという名前の女の子が生まれました。トムにとってもケイティにとっても初めての実子です。
まあ、いつもスリちゃんはセレブでお嬢様タイプの格好、シャイロちゃんはお転婆で着の身着のままな感じという対照的な扱いをされることが多いですね(笑)
数年後に、もしかしたら2人が女優として共演するなんてこともあるかも?
さあ、まだまだトム・クルーズの出演映画は続きます(笑)
と、その前に・・・実は2006年に先程ご紹介したクルーズ/ワグナー・プロダクションズというパラマウントと組んで設立した映画製作会社ですが、パラマウントが一方的に契約を解除してきたんですね。
原因は2005年頃にケイティへの想いをオプラ・ウィンフリーの番組で大声で叫んだり、番組セットのソファーの周りを飛びまわったりしたことが、あまりに奇抜だったと話題になってしまったり、新宗教のサイエントロジーの信者であることを公言して様々なメディアで論争したりしたため、マスコミの餌食になったみたいですね。ちなみにサイエントロジーには1番目の妻ミミ・ロジャースを通じて関わるようになったとBBCニュースが報じています。
まあ、色々と世間を騒がせたから、パラマウントが手を切ったということなのかな~?ただ結局は、クルーズ・ワグナー・プロダクションズは、フットボールチームのオーナーなどから投資してもらい晴れてパラマウントから独立できました。トムもワグナーもパラマウントの扱いには怒り心頭だったようで、後にパラマウントの親会社バイアコムの会長が謝罪に近い言葉を発しているものの、さすがに無視したようです。
ちなみに、先ほどのオプラ・ウィンフリーの番組で奇抜は行動をした様は、かなりの人やメディアでパロディー化されました。通常アメリカでは行き過ぎた行為をすることを「Jumping the Shark」(サメを飛び越える)というんですが、これをモジって「Jumping the couch」(ソファーを飛び越える)という言葉まで流行したそうで、意味はWikipediaによると「誰かが公の場で自分の名声を傷つけるのに十分に極端な形で見境を失う」ことだそうです(笑)
さらに同じ2006年に、トムとワグナーが、実質MGM傘下にあったユナイテッド・アーティスツ社の経営トップに就任しました。下火になっていたユナイテッド・アーティスツを再興しようというのが目的だったようです。
ユナイテッド・アーティスツといえば、1919年にチャップリン、メアリー・ピックフォード、ダグラス・フェアバンクス、D・W・グリフィス監督の4人のビッグスターによって設立された夢の映画製作・配給会社です。
チャップリンの作った映画会社のトップにトム・クルーズが就任するなんて、エンタメの歴史って面白いですね☆
ただ2008年にはワグナーが退任しています。トムは今も経営に携わってるのかなー?MGMは今後もユナイテッド・アーティスツから映画を発信していきたいといってるみたいです。
というわけでトム・クルーズにとって2006年は激動の年だったと言えますね。
翌2007年には、ユナイテッド・アーティスツ社から映画「大いなる陰謀」を発表。ロバート・レッドフォードが監督・製作・主演を務めた作品です。トムはメリル・ストリープ、ロバート・レッドフォードと共演しました。
でもってビックリしたのは、同年「トロピック・サンダー」というコメディ映画に出演しているんですが、この作品はパラマウント映画なんですね。パラマウントとは仲が悪くなったかと思いきや、大人な対応ですね。
ちなみにこの作品でトムはなんと中年太りして、頭のハゲている憎らしい金持ちオヤジというキャラをノリノリで演じています(笑)
2010年には映画「ナイト&デイ」で、キャメロン・ディアスと共演しました。こちらは、キャンペーン企画が面白くて予告編の他に↓のような面白動画も公開されて話題を呼びました。
この番組では、有名人がレース場1週を何秒でまわれるかを競うのですが、そのレーシングになんとトム・クルーズとキャメロン・ディアスが挑戦しています。貴重です。さらに結果やトムのドライビング・テクニック(?)も驚きですよ!
さらにクリストファー・マッカリー監督の「アウトロー」では、アメリカで人気のシリーズ小説の主人公を演じ、女優ロザムンド・パイクと共演しました。
来日した際には、生トム・クルーズを見に行きましたが、めっちゃカッコ良くて完璧でした(笑)
しかし2012年は、ケイティ・ホームズから突然の離婚を突きつけられます。原因は不明ですが、一部メディアではサイエントロジー関連なのでは?とか、トムの束縛に嫌気がさして、などと噂されていました。たしかスリちゃんは母親であるケイティと暮らすことになったほずです。
そんなショックな出来事があったにもかかわらず、トムは仕事に集中し続け、2013年は「オブリビオン」で近未来の世界を描いた映画に出演。
ちなみにトム・クルーズは親日家としても知られていますが、黒澤明監督の「用心棒」とかも好きだと言ってました。
いやはや、トム・クルーズの紹介をかいつまんで書こうと思ったら、ものすごく長いページになってしまった(笑)
やっぱりトム・クルーズは俳優という仕事が大好きな人間なんだな~☆並外れた数の映画に出演してますね!
そしてトムのプロ意識に惹かれたのか、スター性をかわれたのか、様々な偉大な監督と仕事をしていてビックリします。今後もビッグなスターと共演してほしいなぁ~♪ディカプリオとか、ウィル・スミスとかと共演したら面白いですよねヽ(´▽`)/
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今も十分カッコイイですが、ディカプリオがブレイクした2000年前後には2大イケメン俳優としてディカプリオ派か、ブラピ派か?なんて言われるくらいイケメンの代名詞的存在ですね。
さらに、ブラッド・ピットの場合は肉体もすごい。鍛え挙げられた体でアクションシーンやファイティングシーンなども多いです。
短髪か長髪のことが多く、あまり2枚目と言われたりハンサムな男性の役柄を演じるのが好きじゃないのかな?ハードボイルドな役などが多いイメージです。
代表作としては、まず1994年(31歳の年)にトム・クルーズと共演した映画「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」がありますね。
そして翌1995年「セブン」では若き刑事役を演じ日本でも大ブレイク。モーガン・フリーマンと組んで若く元気な刑事を演じカッコ良かったですね。ちなみに奥さん役はグウィネス・パルトローでした。
2001年は結構当たり年で、映画「ザ・メキシカン」ではジュリア・ロバーツと一風変ったラブコメに出演し、ハチャメチャなカップルを演じました。
さらに大人気シットコム「フレンズ」へゲスト出演します。当時の妻であるジェニファー・アニストンと共演を果たし大いに観客をわかせました。
ちなみにブラッドは、学生時代にジェニファーにイジメられていた男性役で登場しました(笑)エピソードの邦題は「ブラピのヘイト・クラブ」でファイト・クラブにかけた題名になってました。
同じく2005年にヒッチコック映画のリメイク「Mr.&Mrs. スミス」にて、アンジェリーナ・ジョリーと共演。この作品での出逢いがきっかけとなり2人は交際をスタート。
もっとも、最近は子供達にせかされて2012年には婚約を発表、結婚式も間近か?と噂されています。ちなみに子供はアンジーとの間にできた実子が3人に養子が3人います。
2007年には「ジェシー・ジェームズの暗殺」、2008年「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」、2009年クウェンティン・タランティーノ監督の「イングロリアス・バスターズ」、2011年「マネーボール」、2013年「ワールド・ウォーZ」「悪の法則」などに出演しています。
「それでも夜は明ける」は2013年度のアカデミー作品賞に輝きました。ただ、ブラピ自身がアカデミー賞を受賞したことは、意外にもまだ1度もありません。2014年現在、ディカプリオ、トム・クルーズ、ジョニデ、そしてブラピは、ナゼかアカデミー賞に輝いていないスターなんですね。
あ、あと自他ともに認める映画オタクらしいです。たくさん観てるみたいで、旅行する時にも何本か観たいDVDを持参していくとか。
ブラピは意外と色んな人と共演を果たしていますが、いまだに実現していない2大イケメンと言われたディカプリオとの共演を1度でいいから実現してもらいたいですね☆
ソフトバンクのCMでは小錦を抱えて歩くというシーンを披露してました(笑)
マイケル・J・フォックス(Michael J. Fox, 1961年6月9日 – )は、カナダのアルバータ州エドモントン出身の俳優です。
マイケル・J・フォックスといえば、スピルバーグ製作&ロバート・ゼメキス監督の大ヒット映画「男バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズが有名ですね。もうこの映画はSF映画の金字塔というか、タイムマシンものの最高傑作と言っていいでしょう☆ドラえもん世代の僕としては、ハリウッドがタイムマシン映画作ったらこうなるのか!なんて興奮したものです(笑)
ただマイケルがブレイクしたのは、実は映画ではなくテレビドラマでした。海外ドラマ「ファミリー・タイズ」という文字通り家族の絆を描いた笑えて感動もできちゃうシットコムです♪
このドラマはアメリカでシーズン7まで続いた人気番組となり、マイケルは長男で将来エリート銀行員になりたいと思っている学生を演じています。海外ドラマ「フレンズ」モニカ役で有名なコートニー・コックスも出演してます。しかもマイケルの恋人役で。
マイケル・J・フォックスは、この役でなんとプライムタイム・エミー賞コメディ部門主演男優賞に1986、87、88年の3年連続で輝き、IMDbを見る限りゴールデングローブ賞主演男優賞も授与されているようです。さらに、このドラマで知り合った女優トレーシー・ポランと実生活で結婚。極めつけは、この作品で一躍有名になったためスピルバーグの目にとまり、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の主役にスカウトされたというわけです。マイケルにとって「ファミリー・タイズ」との出会いは、人生を大きく変えた出来事だったんですね。
その後、「ティーン・ウルフ」「摩天楼はバラ色に」「ハード・ウェイ」「ドク・ハリウッド」「バラ色の選択」などに出演。1995年には「アメリカン・プレジデント」のような秀作にも出演しますが、なんといってもマイケルの第2のブレイクは、翌年1996年から2001年までシーズン6まで続いたテレビドラマ「スピン・シティ」でしょう。
僕も「スピン・シティ」は大好きな海外ドラマの1つで、シットコムの中ではベスト5に入ると思います。この作品は「ファミリー・タイズ」のプロデューサーだったゲイリー・デイヴィッド・ゴールドバーグとマイケル・J・フォックスが再びタッグを組んだコメディ・ドラマです。マイケルはニューヨークの市長補佐役を演じています。
このドラマで、今後はゴールデングローブ賞主演男優賞を3年連続で受賞。(1997年度から1999年度)さらにプライムタイム・エミー賞コメディ部門主演男優賞も2000年度に受賞しています。
ただ「スピン・シティ」のシーズン4を終えたところでマイケルが周囲には隠してきたパーキンソン病の症状が悪化してきたために主役の座を降板します。30歳という若さでパーキンソン病となったマイケルは、製作者の1人として同ドラマに関わっていきます。
マイケルの代役として主役を務めたのはチャーリー・シーンでした。マイケルが指名したとも言われています。チャーリー・シーンはこの後、やはりシットコムの「Two and A half Men(ハーパー★ボーイズ)」に主演し大ヒットを飛ばすことになります。
マイケルのパーキンソン病については諸説ありますが、症状が出始めた頃のことや気持ち、妻とともに過ごした闘病生活の日々などについてはベストセラーにもなった自伝「ラッキーマン」に詳しく書いてあります。僕も読みましたがハリウッドの裏側を知ることができるだけでなく、奥さんとの絆など、すごく感動しました。2003年に書かれた「ラッキーマン」以降の生活については、続編の「いつも上を向いて」(2010)に書かれています。
そして現在、マイケルはどんな生活を送っているかというと、今も闘病生活を続けながら「パーキンソン病研究のためのマイケル・J・フォックス財団」を設立します。さらに、なんと、2013年よりファン待望のテレビドラマに主演復帰しました!その名も「マイケル・J・フォックス・ショウ」!半自伝的な内容になるみたいです♪
日本ではスーパードラマTVで放送してるみたい☆
↓は公式トレーラー(予告)です。
ちなみに主演復帰する数年前から徐々に俳優活動に精を出し始めていて「グッド・ワイフ」「ボストン・リーガル」「ラリーのミッドライフ★クライシス」などの人気ドラマにゲスト出演はしていました。
マイケル・J・フォックスの生き方には、たくさんの勇気とユーモアの大事さとエール、希望をもらえます。
↓マイケル・J・フォックスのサイン入り生写真やポスターなどを集めてみました♪
トム・ハンクス(Tom Hanks, 1956年7月9日 – )は、アメリカのカリフォルニア州出身の俳優です。アクターの他にも「すべてをあなたに」や「バンド・オブ・ブラザース」など、監督やプロデューサーにも挑戦しているようですね。
アカデミー賞も2度、「フィラデルフィア」と「フォレストガンプ」で主演男優賞を受賞している実力派の俳優です。
トム・ハンクスの出演作を振りかえってみるとヒット作が多くて驚きます。これほど代表作が多い俳優も多いのではないでしょうか。あなたなら何が浮かびますか?
僕は「ビッグ」「ターミナル」「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」「ダ・ヴィンチ・コード」がパッと浮かびました。どれも大好きな作品です。まだ見たことがない人は、ぜひ見てみて下さい。全部オススメです。
他にも有名なところでは「めぐり逢えたら」「ユー・ガット・メール」「フィラデルフィア」「フォレスト・ガンプ/一期一会」「グリーンマイル」「アポロ13」「キャスト・アウェイ」「プライベート・ライアン」などかな。
もともとはコメディアンとしてアメリカの有名なコメディ番組の「サタデー・ナイト・ライブ」にも出演していたトム・ハンクスですが、なんとなく誠実なイメージがありませんか?役柄が純粋だったり善人だったりするからかなぁ~?ジェームズ・スチュワートが「アメリカの良心」と謳われていましたが、僕的には、トム・ハンクスは「現代版アメリカの良心」という感じで信頼できそうなハリウッド俳優No.1です。
ちなみに「サタデー・ナイト・ライブ」にトム・ハンクスが出演した時のライブだけを集めた、日本版の傑作集DVDというのが発売されていてAmazonで購入できます。「サタデー・ナイト・ライブ」は今ではHuluでほぼリアルタイムで見ることができるようになっています。歴史のある番組で風刺やコントなどを、旬な映画スターやコメディアンたちが披露してくれる最高の番組です。
ではトム・ハンクスのキャリアを順に見ていきましょうか☆
初期の頃の映画で有名なのは、「スプラッシュ(原題:Splash)」(1984)、「ビッグ(原題:big)」(1988)、「メイフィールドの怪人たち(原題:The Burbs)」(1989)の3つです。
特に「ビッグ」は最高に面白いです!すごく元気と勇気と愛をもらえる大好きなエール映画です。管理人789junって誰?ページで「大好きな映画ベスト15」にも挙げました。絶対見たほうがいいですよヽ(´▽`)/ この作品でトム・ハンクスは、1989年のアカデミー賞で受賞こそ逃しましたが、主演男優賞にノミネートされたみたいですね。ゴールデングローブ賞では主演男優賞を受賞しています。
ちょっとだけあらすじを紹介すると、12歳の少年が突然、体だけ大人になってしまい、おもちゃ会社に入社。純朴で誠実な中身ゆえに出世をし恋もするが・・・という物語。あなたが、もし、周りは敵だらけと考えている大人だとしたら、きっとたくさんの気づきをもらえる映画です。
さて、中期の作品になると有名なのは、まずメグ・ライアンと共演した1993年公開の「めぐり逢えたら」ですね。この作品は1957年の映画でケーリー・グラントとデボラ・カー主演の「めぐり逢い」にヒントを得て製作された映画。さらにメグ・ライアンとは1998年の「ユー・ガット・メール」でも共演。こちらもエルンスト・ルビッチの「街角 桃色の店」のリメイク映画です。「めぐり逢えたら」も「ユー・ガット・メール」も大ヒットしました。
そして、いよいよアカデミー主演男優賞を受賞した2作品の登場。「フィラデルフィア」と「フォレスト・ガンプ/一期一会」ですね!この2作では、アカデミー賞のみならずゴールデングローブ賞男優賞も受賞しています。
「めぐり逢えたら」が1993年で、「フィラデルフィア」も同じ1993年、さらに「フォレスト・ガンプ/一期一会」は翌年1994年公開というから驚きですよね。さらに言うとそのまた翌年1995年に「アポロ13」も大ヒットしています。この3年はトム・ハンクスの当たり年ですね。
「フィラデルフィア」はトム・ハンクスとデンゼル・ワシントンという豪華共演作。
あらすじは突然、事務所を解雇されエイズを発症した元弁護士の主人公が、弁護士事務所を相手どり差別的な扱いを受けながらも正義のために立ち向かうという物語です。
本作では第51回ゴールデングローブ賞でも主演男優賞を受賞しています。監督は「羊たちの沈黙」で有名なジョナサン・デミ。
もう1作、ロバート・ゼメキス監督の「フォレスト・ガンプ」でもアカデミー賞主演男優賞を受賞。この映画も大ヒットして、作品賞、監督賞など6部門を受賞しました。
劇中に登場するシーフード店「ババ・ガンプ・シュリンプ」は映画公開後に本当にアメリカでオープンし今でも人気のお店となっています。日本にも東京に2店舗と大阪に1店舗あります。雰囲気としてはフライデーズやアウトバックみたいな感じの佇まいです。
「フォレスト・ガンプ」で登場した次のセリフは有名になりました。
「人生はチョコレートの箱と一緒。箱を開けるまで中身はわからない」
(Life is like a box of chocolates. You never know what you’re gonna get.)
僕なりに意訳すると、「人生はプレゼントしてもらったチョコレートの箱と同じ。生命を授かった瞬間に、どんな人生が待っているかなんて知るよしもない。実際に生きてみれば一見、暗く見えるものでも、案外甘かったりするものさ」かな。
余談ですが、「チャンス」という映画にストーリーが酷似しているのですが、関連についてはよくわかりません。「フォレスト・ガンプ」は原作が小説らしいのでリメイクではないのかな?
こうやってみるとトム・ハンクスは1993年、1994年、1995年の3年間で、エイズを発症した弁護士、波乱万丈な人生を送った純朴な男、そして宇宙飛行士と実に様々な役をこなし評価されていますね。
さてさてオスカー俳優として世界的スターとなったトム・ハンクスですが1996年には「すべてをあなたに」で監督・出演・脚本をこなし、さらに何作ものヒット作に出演していきます。
1998年には「めぐり逢えたら」で共演したメグ・ライアンと再び「ユー・ガット・メール」で共演、そしてスティーヴン・スピルバーグ監督の「プライベート・ライアン」に出演。
翌1999年には刑務所の看守役を務めた「グリーンマイル」、2000年には無人島に漂流した男のサバイバル姿を描いたロバート・ゼメキス監督の映画「キャスト・アウェイ」でゴールデングローブ賞主演男優賞受賞、2002年にはスピルバーグ監督作品でレオナルド・ディカプリオと共演した「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」、2004年には、またまたスピルバーグ監督の映画「ターミナル」に主演しキャサリン・ゼタ=ジョーンズと共演します。
そして、2006年にはロン・ハワード監督の「ダ・ヴィンチ・コード」に出演。これまた世界中で大ヒットして、2009年には続編の「天使と悪魔」も上映され3作目の製作も予定されています。
スピルバーグ監督やロバート・ゼメキス監督など一度タッグを組んだ監督と再び仕事をしているところをみると、トム・ハンクスの人柄というか、プロ意識というか、付き合いやすい人なんだろうなという感じがしますね☆このあたりがヒット作品の数の多さにも現れているのかな~♪
最近のトム・ハンクスはというと、2011年に久しぶりの監督を務めた「幸せの教室」でジュリア・ロバーツと共演したり、サンドラ・ブロックと共演したアメリカ同時多発テロを扱った「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」、2013年には「ウォルト・ディズニーの約束」では、あのウォルト・ディズニー役を演じたりしています。
全体的に多種多様な役柄に挑戦しているトム・ハンクス。「レディ・キラーズ」では殺人者の役を演じてますが、やはりあまり悪人を演じてはいませんね。あと「トイ・ストーリー」シリーズでは声優にも挑戦しています。
プライベートでは、トム・ハンクスは、なんとあのリンカーン大統領の遠縁にあたるんだそうです。
結婚は1978年に女優のサマンサ・ルイスと22歳の若さで結婚できちゃった婚だったみたいです。おそらく大学時代に結婚したと思われます。まだ映画デビューもしていない頃ですね。
この時生まれた息子が現在は俳優として活躍しているコリン・ハンクスです。サマンサとは1987年に離婚していますが、息子のコリンとはその後、共演したりトム製作の映画に出演させたりしています。その後、1988年に映画「ピース・フォース」で共演した女優のリタ・ウィルソンと結婚。今も夫婦生活は続いています。
トム・ハンクスには、これからも温厚で知的でユーモアにあふれたイメージのままでいて欲しいですねヽ(´▽`)/
↓その他何枚かトム・ハンクスの写真を探してみました♪結構サイン入り写真が多かったなぁ~(オートグラフ)
ジェームズ・スチュワート(James Stewart, 1908年5月20日 – 1997年7月2日)は、アメリカのペンシルベニア州出身の俳優です。
代表作はフランク・キャプラ監督の映画「我が家の楽園」「スミス都へ行く」「素晴らしき哉、人生!」、ヒッチコック監督の「裏窓」「めまい」「ロープ」、ビリー・ワイルダー監督の「翼よ! あれが巴里の灯だ」、エルンスト・ルビッチ監督の「街角 桃色の店」など有名監督の作品に多数出演し主演を務めました。
ジョン・キューかー監督の「フィラデルフィア物語」ではアカデミー賞主演男優賞に輝き、1984年にはアカデミー賞名誉賞にも選ばれています。ゴールデングローブ賞セシル・B・デミル賞も1965年に受賞しています。
フランク・キャプラ作品や「桃色 街角の店」などで演じたキャラのイメージが強いのか、個人的には、やっぱり正義の味方というか好青年、信頼できる人というイメージが強くて、好感が持てる俳優さんNo1ですね。
実生活でも、スキャンダルやゴシップとは無縁だったらしく結婚も1度きりで離婚暦なしです。これだけの大スターでありながら誠実に生き抜くというのは大変だったんじゃないかなと思いますよね。
そんな誠実な性格もあってか、「アメリカの良心」と呼ばれていたらしいです。納得のニックネームです(笑)
プリンストン大学で建築学を学んでいて、きちんと卒業しているという経歴もすごいなぁ~。プリンストン大といえばアメリカのアイヴィーリーグの1つで超名門大学ですよ。
ハリウッドには、ヘンリー・フォンダに誘われて行ってMGMと契約。その後、フランク・キャプラに見出されて「我が家の楽園」と「スミス都へ行く」の大ヒットでスターになったというから豪華な経歴です。
IMDbやWikipediaによると、一度も悪役を演じたことがないらしく、41歳で元モデルの女性と結婚して子供は2人の娘と養子をとった2人の男の子がいたそうです。
IMDbのトリビアの数がチャップリンを超えてるのには驚きますね。それだけ人気が高いということでしょう☆ただ日本では、おそらく、そこまでジェームズ・スチュワートの知名度はないでしょう。もっと人気出てもいい俳優さんですね。
↓その他何枚かジェームズ・スチュアートの写真を探してみました♪