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マイケル・J・フォックスのすべて

マイケル・J・フォックス(Michael J. Fox, 1961年6月9日 – )は、カナダのアルバータ州エドモントン出身の俳優です。
 
マイケル・J・フォックスといえば、スピルバーグ製作&ロバート・ゼメキス監督の大ヒット映画「男バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズが有名ですね。もうこの映画はSF映画の金字塔というか、タイムマシンものの最高傑作と言っていいでしょう☆ドラえもん世代の僕としては、ハリウッドがタイムマシン映画作ったらこうなるのか!なんて興奮したものです(笑)
 
ただマイケルがブレイクしたのは、実は映画ではなくテレビドラマでした。海外ドラマ「ファミリー・タイズ」という文字通り家族の絆を描いた笑えて感動もできちゃうシットコムです♪
 
このドラマはアメリカでシーズン7まで続いた人気番組となり、マイケルは長男で将来エリート銀行員になりたいと思っている学生を演じています。海外ドラマ「フレンズ」モニカ役で有名なコートニー・コックスも出演してます。しかもマイケルの恋人役で。
 
マイケル・J・フォックスは、この役でなんとプライムタイム・エミー賞コメディ部門主演男優賞に1986、87、88年の3年連続で輝き、IMDbを見る限りゴールデングローブ賞主演男優賞も授与されているようです。さらに、このドラマで知り合った女優トレーシー・ポランと実生活で結婚。極めつけは、この作品で一躍有名になったためスピルバーグの目にとまり、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の主役にスカウトされたというわけです。マイケルにとって「ファミリー・タイズ」との出会いは、人生を大きく変えた出来事だったんですね。
 
その後、「ティーン・ウルフ」「摩天楼はバラ色に」「ハード・ウェイ」「ドク・ハリウッド」「バラ色の選択」などに出演。1995年には「アメリカン・プレジデント」のような秀作にも出演しますが、なんといってもマイケルの第2のブレイクは、翌年1996年から2001年までシーズン6まで続いたテレビドラマ「スピン・シティ」でしょう。
 
僕も「スピン・シティ」は大好きな海外ドラマの1つで、シットコムの中ではベスト5に入ると思います。この作品は「ファミリー・タイズ」のプロデューサーだったゲイリー・デイヴィッド・ゴールドバーグとマイケル・J・フォックスが再びタッグを組んだコメディ・ドラマです。マイケルはニューヨークの市長補佐役を演じています。
 
このドラマで、今後はゴールデングローブ賞主演男優賞を3年連続で受賞。(1997年度から1999年度)さらにプライムタイム・エミー賞コメディ部門主演男優賞も2000年度に受賞しています。
 
ただ「スピン・シティ」のシーズン4を終えたところでマイケルが周囲には隠してきたパーキンソン病の症状が悪化してきたために主役の座を降板します。30歳という若さでパーキンソン病となったマイケルは、製作者の1人として同ドラマに関わっていきます。
 
マイケルの代役として主役を務めたのはチャーリー・シーンでした。マイケルが指名したとも言われています。チャーリー・シーンはこの後、やはりシットコムの「Two and A half Men(ハーパー★ボーイズ)」に主演し大ヒットを飛ばすことになります。
 
 
マイケルのパーキンソン病については諸説ありますが、症状が出始めた頃のことや気持ち、妻とともに過ごした闘病生活の日々などについてはベストセラーにもなった自伝「ラッキーマン」に詳しく書いてあります。僕も読みましたがハリウッドの裏側を知ることができるだけでなく、奥さんとの絆など、すごく感動しました。2003年に書かれた「ラッキーマン」以降の生活については、続編の「いつも上を向いて」(2010)に書かれています。
 
 
そして現在、マイケルはどんな生活を送っているかというと、今も闘病生活を続けながら「パーキンソン病研究のためのマイケル・J・フォックス財団」を設立します。さらに、なんと、2013年よりファン待望のテレビドラマに主演復帰しました!その名も「マイケル・J・フォックス・ショウ」!半自伝的な内容になるみたいです♪
 
日本ではスーパードラマTVで放送してるみたい☆
 
↓は公式トレーラー(予告)です。

 
ちなみに主演復帰する数年前から徐々に俳優活動に精を出し始めていて「グッド・ワイフ」「ボストン・リーガル」「ラリーのミッドライフ★クライシス」などの人気ドラマにゲスト出演はしていました。
 
マイケル・J・フォックスの生き方には、たくさんの勇気とユーモアの大事さとエール、希望をもらえます。
 
 
↓マイケル・J・フォックスのサイン入り生写真やポスターなどを集めてみました♪
 

 
 
 
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メアリー・ピックフォードのすべて

メアリー・ピックフォード(Mary Pickford、1892年4月8日 – 1979年5月29日)は、カンダのトロント出身の女優です。
 
サイレント時代に「アメリカの恋人」と呼ばれた程ハリウッドで大人気だった女優で、D・W・グリフィスに認められて女優として開花しました。チャップリンとも親交があり、俳優ダグラス・フェアバンクスと結婚していた時期がありました。
 
また、上記4人でユナイテッド・アーティスツという映画会社を設立しています。チャップリンのページでも書きましたが、この会社はメトロ・ゴールドウィン・メイヤーに吸収されてはいますが今も残っており、2006年から2008年の間はトップにトム・クルーズが就任していました。
 
メアリー・ピックフォードは、小柄ながらとてもパワフルな女性で、初めて年100万ドルを稼いだ女優と言われています。
 
さらに「メアリー・ピックフォード・カンパニー」という自身のプロダクションを設立し、自分自身で自分の主演映画を製作した初めての女優でもあります。
 
もともとは子役として活躍していて、ニューヨークに来てからはブロードウェイの舞台にも出演していたようです。
 
今でいうところのダコタ・ファニングや芦田愛菜(あいだまな)ちゃんみたいな感じかな?(笑)
 
そしてなんといっても、メアリー・ピックフォードの一番の功績はエルンスト・ルビッチ監督を見出し、ドイツからハリウッドへ招いたということでしょう。ルビッチはビリー・ワイルダーの師匠でもあり、数々の名作を残してくれた天才監督です。
 
もちろんメアリー・ピックフォード自身も、ルビッチ監督作品「ロジタ」に出演しています。「ロジタ」は1924年度キネマ旬報「娯楽的に最も優れた映画」で第10位にランクインしたそうです。
 
また「コケット」という映画では、アカデミー主演女優賞に輝きました。他にも「」「小米国人」「小公女」「青春の夢」「じゃじゃ馬ならし」などに出演しています。
 
ただ、探したんですが「コケット」はAmazonにも楽天にもDVD売ってないみたいですね・・・。ぽすれんやツタヤ・ディスカ、楽天レンタルにもおいてない・・・。なぜなんでしょうね?もはやBSなどで放送されるのを見るしかないか。。
 
そして、83歳の1975年にはアカデミー名誉賞を受賞。引退後もプロデューサーとして活躍するなど精力的な一生を送りました。
 
彼女が残した言葉で、「”failure” is not the falling down, but the staying down.」というのがあります。(「失敗というのは、転ぶことではなく、転んだまま起き上がらないことです」)こちらも名言として有名な言葉ですね。
 
彼女の人気ぶりは、メアリー・ピックフォードというラムベースのカクテルがあったり、日本では作家の谷崎潤一郎が「痴人の愛」という小説で名前を取り上げていたりすることからも世界中で愛されていたことがわかります。
 
ちなみにチャップリンの自伝映画「チャーリー」の中でも、ちょこっと登場してます。もちろん本人ではなくピックフォード役の人が演じてますが。
 
生涯で3度結婚し、3度目の結婚は死ぬまで続いたようです。2度目の結婚がダグラス・フェアバンクスとだったのですが、こちらも離婚したとはいえ16年間も続いていたんですね。
 
メアリー・ピックフォードの写真は、Wikipediaに載ってる写真がかわいいです。(2014年4月現在)
 
あとはIMDbで何枚か見れます。チャップリンと一緒の写真やユナイテッド・アーティスツ設立時の4人の写真などもありますよ♪
 
↓その他何枚かメアリー・ピックフォードの写真を探してみました♪

 
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